今回は、「ファミリーヒストリー 伊藤蘭~”蘭の花”親子3代の秘話~」をご紹介します。
50年前に国民的アイドルとして人気を博したキャンディーズ。
そのリーダーが、伊藤蘭さんでした。
キャンディーズ解散後は俳優として活躍。高い評価を得ました。
番組への出演は、とても迷われたそうですが、夫の水谷豊さんの後押しもあって、出ることを決めたそうです。
https://twitter.com/nhk_docudocu/status/1694651698055360649
目次
伊藤蘭さんファミリーヒストリー伊藤蘭〜“蘭の花”親子3代の秘話〜
初回放送日: 2023年8月25日
かつては「キャンディーズ」として大人気。突然の解散、復帰後は俳優として活躍するなど挑戦を続けてきた蘭。先祖たちもそれ以上に激動の人生を送っていた。曽祖父は貧しい中で努力し官僚に。広島市長を務め、旧満州の事業で成功する。母方祖父は腕利きのテーラー。大火で店を失うがすぐに再建する根性の持ち主。その気質は母に受け継がれ、結婚後も一家の柱として家族を守る。父は理系で最先端技術の研究をするが戦争で人生が一変
出典:公式サイト
伊藤蘭さんの夫は俳優の水谷豊さん。娘は女優でダンサーの趣里さんです。
趣里さんは2023年下半期の朝ドラ『ブギウギ!』で主演をつとめるなど、ノリにノッています。
スタジオへ現れた伊藤蘭さん。
黒いワンピースがよく似合う、お奇麗な方!
心境はソワソワドキドキされているとのこと。
伊藤蘭さんファミリーヒストリー:新潟へルーツをさぐる!
伊藤蘭さんは昭和30年生まれ。
父、英邦と母、八重の間に生まれました。
父は自分のルーツや先祖のことをほとんど語らなかったそうです。
父方のルーツをたどるため、新潟県へ。
関川村下関地区の戸籍に、蘭さんの4代前に東蔵という人物がいたことが分かりました。
この地には、伊藤性の家がたくさん残っています。
この伊藤家はもとをたどれば、同じ先祖に行き着くということ。
その本家は、伊藤半十郎という人物が治めていました。
この伊藤家は江戸時代から13代にわたり、この半十郎という名を受け継いでいました。
かなりの名家だったようです。
そして、その伊藤半十郎の分家に生まれてきたのが
東蔵の息子の貞次、蘭さんの曾祖父です。
貞次が14歳の時に父の東蔵が若くして病死したため困窮。
このころには、本家も困窮していたため、母方の渡邉家に身を寄せました。
長男の貞次は、農業や土木復旧作業に精を出しますが、暮らしはなかなかよくなりません。
暮らしを支えるため、貞次は東京に進学したいと考えるようになりました。
そんな貞次を家族も支え、東京へ送り出しました。
伊藤蘭さんファミリーヒストリー:祖父は東京生まれ曽祖父は広島市長に!
東京に進学した貞次は、文官普通試験に合格。
今でいう、高卒の国家公務員となりました。
3年後に病気を理由に退職、しかし翌年から早稲田大学法律科で2年間学んでいます。
卒業後は、キャリア官僚となり、内務省で働き始めます。
お世話になった渡邉家には、毎月まとまった額の仕送りをするなど、しっかりした人物像が浮かびます。
そんな貞次の長男が太郎。蘭さんの祖父です。
裕福な家庭に生まれた太郎は、のんびりした性格だったようで、油絵などを学び、あまり仕事はしていなかったそうです。
無職のまま名家のお嬢さんハマと結婚。
長男、英邦(後の欄の父)が生まれると意識が変わったようで
法政大学で経済を学び、川崎市役所で勤務。
父と同じ公務員となりました。
そのころ、父の貞次は、広島市長に任命されます。
その後は、旧満州で土地などを斡旋する仕事をしました。
伊藤蘭さんファミリーヒストリー:父は学業優秀!祖父は伊藤蘭??
貞次は、旧満州で得た利益を持って帰国し、吉祥寺に500坪の大邸宅を建てます。
一方、息子の太郎は川崎市役所を6年で退職。
大成功した父に対しての劣等感がぬぐえなかったようです。
太郎はその後、また油絵に没頭します。
そんな父、太郎に絵の手ほどきを受けて育った、蘭さんの父の英邦は勉強面でも優秀でした。
国防理工学園電波兵器技術錬成所で学んだあと、多摩陸軍技術研究所に軍属として勤めました。
戦時下で最先端技術の開発に携わりました。
スタジオの蘭さんに知らされたのは、
なんと祖父、太郎の雅号が「蘭」で「伊藤蘭」を名のっていたということ。
本当に蘭の花がお好きだったんですね。
伊藤蘭さんファミリーヒストリー:母方のルーツも新潟!
一方、母親の八重さんの曾祖父は内山興太郎といいます。
父親が横山博十郎とあるので、養子だったことが分かりました。
両家があったのは、新潟県新発田市。
父方のルーツにも近い場所でした。
市の歴史図書館に、蘭さんの4代前の横山屋博十郎の記録が残っていました。
店は大通りに面し、城への出入りも許される商人だったようです。
そんな商才は、蘭の祖父、柏平へと受け継がれます。
柏平は、洋裁の技術を身に着けテーラーを開業。
なんとその場所は、北海道函館市。
いち早く乗り込んだため、外国人を中心に需要があったそうです。
さらに百貨店からの大口の注文があったりと、かなり稼ぎがよかったそう。
そして明治41年、柏平は地元出身のトサと結婚します。
そして12人の子宝に恵まれ、その6女が八重でした。
ところが、昭和に入ると、一家の暮らしは暗転します。
一緒に開業した兄の死や、函館大火の災害。
店も家も焼失してしまいました。
でも、家族や職人たちの生活を思って、いち早く家業を再開したそうです。
伊藤蘭さんファミリーヒストリー:母は宝塚へのあこがれ!
蘭さんの母親、八重は、家業の影響もあって、華やかな世界へのあこがれの強い女の子。
宝塚への興味もあったようです。
昭和16年に、父譲りのチャレンジ精神で上京。
吉祥寺の洋裁学校に入学しました。
しかし、同年に太平洋戦争が勃発。
華やかさとは無縁の生活を余儀なくされました。
終戦後は、出身の洋裁学校で教師として働きます。
今までのうっ憤を晴らすように、展示会やダンスパーティーに参加。
その時に出会ったのが、蘭さんの父、英邦さんでした。
その後、英邦さんは、自宅に研究室を開業。
窯業を学んで、粘土を使ったアクセサリーを作成していました。
戦時下で得た、最先端技術を仕事に活かそうとはしませんでした。
戦争での辛い経験を忘れられる時間が、絵をかいたり、窯業に関わっている時だったのかもしれません。
八重と結婚し、昭和30年には、蘭さんが誕生します。
名付け親は、蘭の花が大好きだった祖父の太郎。
ところが、翌年には、大事件が。
太郎が亡くなり、多額の相続税の支払いが発生したのです。
曾祖父、貞次が残した財産も、ほとんど底をついていました。
家の空き部屋を、人に貸して家賃収入を得るなど、工夫してお金を工面しました。
伊藤蘭さんファミリーヒストリー:芸能界デビュー
母の八重も、アメリカ人向けのドレスの注文を取るなど、
洋裁の技術を活かして、家計を支えました。
父、英邦も国立下総養成所で、精神疾患のある人に陶芸を教える仕事に就きました。
しかし、昭和40年、税金を払いきれずに500坪の土地を売却。
そのお金で小さなアパートを購入しました。
その家賃収入で、家計を支えたのは八重。
英邦は千葉の仕事を単身赴任で続け、家族とは疎遠になっていきました。
引っ込み思案だった蘭さんは、そんな自分を変えたいと中学で演劇部に入部。
その後、タレント養成学校に入学し
昭和47年にはキャンディーズを結成。
当初はヒット曲に恵まれず、苦しい時期もありましたが
蘭さんがリーダーとなり、グループを引っ張っていました。
昭和50年に、「レッツゴーヤング」が大ヒット。
3人の生活は一変しました。
分刻みのスケジュールに、自宅まで押し寄せるファン。
そんな人気絶頂のさなか、デビューから5年後に突然の解散宣言をして世間に衝撃を与えました。
伊藤蘭さんファミリーヒストリー:母は宝塚へのあこがれ!
今回の撮影に関し、蘭さんには気になることがありました。
以前、夫の水谷豊さんが島崎藤村記念館に行った際に
館長で島崎藤村の孫である、島崎禄二さんが
「昔、蘭さんの家に下宿をしていて、蘭さんを保育園に送っていったことがある」と言っていたそうです。
当時、禄二さんが通っていたのが、吉祥寺の武蔵野美術学校。
吉祥寺の下宿先で縁があったのでしょう。
精神科の病院で、陶芸を通して、心の回復をはかる治療を行っていた
蘭さんの父、英邦さんは、戦争によって心に傷を負った患者さんと多くかかわっていたそうです。
自身の体験と重ね合わせる部分があったのかもしれません。
献身的に仕事に取り組んだようです。
母、八重は1人でも明るく子育てを行い、苦労を共にした義母ハマさんも看取りました。
そして、平成30年に96歳で亡くなりました。
すべてを見終わった蘭さんは、
「これからも生きる元気をもらいました」と笑顔で語っていました。
人に歴史あり。
数世代さかのぼるだけでも、本当にドラマチックですね!
見ごたえ抜群でした!