草刈正雄さんファミリーヒストリー 神回あらすじと結末:続編放送決定!初めて知る米兵の父 97歳伯母が語る真実とは〜ファミヒス

こんにちは~。らら子です。
今回は、NHK『ファミリーヒストリー』草刈正雄さんの回を紹介します。

終戦記念日前日2023年8月14日に放送された回は、「神回」と評判になり9月19日(火)にも再放送。

2023年12月29日(金)午後9:00〜午後9:45(45分)に続編はこちらをごらんくださいね。

ファミリーヒストリー:草刈正雄さん特別編~アメリカへ決意の旅路~あらすじと結末:ファミヒス

草刈正雄さんといえば、ワタクシらら子の大好きなNHK『美の壺』の看板でもあります。

その内容は、涙なくしては見られない、切ない、そして人の温かさを感じるストーリーでした。さっそく見ていきましょう!






草刈正雄さんファミリーヒストリー:父はアメリカ兵で戦死?

生まれた時から母と二人だった草刈正雄。父は日本に駐留したアメリカ兵だが顔も知らなかった。母は「朝鮮戦争で死んだ、写真は焼いた」と多くを語らず死去。制作班は正雄の記憶にあった「ロバートトーラ」という人物を全米で探すが調査は難航を極める。半年後ようやく親族が判明。なんと父は朝鮮戦争から生還していた。父の容姿や性格、母との出会いも明らかに。「なぜ父は母のもとを去ったのか」父の姉が70年ごしの秘密を告白。

出典:番組公式サイト

草刈正雄さんは、生まれた時から母と2人で生きてきました。

アメリカ兵だった父や家族のことは、詳しくわからないまま過ごしてきたそうです。

70歳となる草刈正雄さんは、映画やドラマ、コメディーにいたるまで、様々な分野で役者として活躍されてきました。

母親のスエ子さんは13年前の2010年に、多くを語らぬまま他界されました。

草刈さんは、悩んだ末、父親のことを知ろうと決心しました。

草刈さんが聞かされていたのは、父親は朝鮮で戦死したということ。

名前はロバート・トーラー。

でも、写真は1枚も見たことがないそうです。

すべて焼いたと言われていました。

番組は、草刈さんに代わってアメリカへ。

取材は難航を極めました。

しかし、半年に及ぶ取材の結果、衝撃の事実が判明したのです。




草刈正雄さんファミリーヒストリー:父は朝鮮戦争から生還していた!

なんと、父親のロバート・H・トーラーさんは、朝鮮戦争から生還しており、亡くなったのは2013年。

ロバートさんの姉が、70年越しの真実を語ってくれました。

スタジオには、司会の寺門亜衣子さんと、今田耕司さん

そこに草刈正雄さんが、少し緊張した様子で登場されました。

草刈家の戸籍には、父親の欄が空欄です。

昭和28年、正雄さんは婚外子として生まれました。

取材班が、母方の親戚に父親の情報を集めようと試みますが、誰もが名前さえ知らないという状況。

正雄さんが母親から聞いた情報だけが頼りになりました。

名前はロバート・トーラー。

朝鮮戦争で戦死。

おじいちゃんにあたる人物が、郵便局で働いていた

これらのたった3つの情報のみで取材を進めることとなりました。

協力してもらったのは、アメリカ取材担当の竹内美穂さん。

竹内さんによると、陸軍が空軍かもわからず、所属場所もわからない。

さらに、スペルもわからないとなると、調べるのはとても難しいとのこと。




草刈正雄さんファミリーヒストリー:日米で先祖の調査を開始!

草刈正雄さんファミリーヒストリー:アメリカの父方

今回、調査に使ったのはアーカイブスドットコム(Archives.com)。

アメリカの法的に閲覧可能な、公的機関の個人情報を集約したサイトです。

まずは「Tola」のスペルで検索すると、2000件以上の人がヒット。

その中から、朝鮮戦争時に従軍していた可能性のある年齢の人、かつ父親の職業が郵便局員である人物を選出します。

これを考えられるスペルの候補で、すべてやっていくという気の遠くなる作業が始まりました。

草刈正雄さんファミリーヒストリー:日本の母方

同時に、日本では母方のルーツを探る調査も進められています。

スエ子さんの故郷は、福岡県行橋市。

古い戸籍を調べると、正雄さんの6代前と5代前の先祖は「草刈利久蔵」の名前を受け継いでいます。

4代前の長男が「松蔵」、次男が「勝蔵」だということがわかりました。

行橋市の幕末の資料にその、先祖の名前を見つけました。

藩が作成した地図に、利久蔵と松蔵の名前が書かれています。

草刈家は米や菜種を作り、地域経済を潤していたようです。

そして、曾祖父「高蔵」の代になると、農業の他に別の事業にも手を広げます。

ご近所の方によると、草刈家は、天ぷらかまぼこ製造業、小売店をされていました。高蔵の始めた、タラのすり身のかまぼこは近所でも評判だったそうです。




草刈正雄さんファミリーヒストリー:母スエ子さんのおいたちが明らかに!父の親族から手紙が!

ところが、草刈さんの曽祖父の高蔵さんは39歳の若さで急死します。

高蔵の次女、正雄さんにとっての祖母イシさんは、口減らしもあって17歳で嫁入り。

昭和7年、長女のスエ子さんが誕生します。

後の正雄さんの母です。

酒癖と女癖の悪い夫との生活は荒れ、スエ子さんが7歳のころ、両親は離婚します。

スエ子さんはそのまま、奉公に出されます。

それでも必死に働き、孤独に耐え続けました。

そして17歳のとき、努力が報われ、路線バスの車掌になることができました。

切符の販売、車内清掃などを行うこの職業は、当時の女性に人気でした。

スエ子さんは、苦労の末、ようやく安定した生活を手にすることができたのです。

一方、父方の取材は行き詰っていました。

「トーラ」で検索するも、それらしき人物は該当せず、「トーラー」に切り替えて検索してみることに。

該当件数、なんと1,836,864件!

気の遠くなる件数が追加対象となりました。

同時に、過去の草刈正雄さんのインタビューをさかのぼって調べてみると、「父の出身はノースカロライナ」と言及されているものを発見。

そこで、「ノースカロライナ州のロバート・トーラー」を対象に検索をかけてみます。

該当する人物たちに手紙を送り続けると、なんと1通の返信が送られてきました。




草刈正雄さんファミリーヒストリー:アメリカの親族が判明!

手紙の主は、ロバート・H・トーラーの甥と名乗る人物。

取材班はさっそく、その人物に会いに行きます。

出迎えてくれたのは、ジェイ・カラハムさん。

ジェイさんは、自分の母から日本にいとこがいると聞かされていました。

でも、そのいとこの情報は何もないと。

そこへ、取材班の手紙が来て、草刈正雄さんの写真をインターネットで調べたところ、ジェイさんの10代のころとそっくり!

いとこだと確信したといいます。

そこで、さっそく2人のDNA検査を実施しました。

結果は、97%の確率でいとこであることが判明。

初めて父方の親戚が見つかったのです。

ジェイさんの母親も喜んでいることこと。

ジェイさんは近所で暮らす母、ジャニタ・カラハムさん(97歳)のところへ案内してくれました。

父、ロバートさんの姉で、正雄さんの叔母にあたります。

ジャニタさんは、さっそくロバートさんの20代の頃の写真を見せてくれました。

正雄さんの若いころをほうふつとさせるハンサム!

やはりとても似ています。

初めて父の写真を見た、スタジオの草刈正雄さんは、胸がいっぱいで言葉に詰まっています。

自分でも「似ていますね」とのこと。

かっこいいですよね(^_-)-☆と笑顔を見せます。




草刈正雄さんファミリーヒストリー:父のおいたち

祖父の9人兄弟は全員、南北戦争で兵士に志願しました。

その中で唯一、軍人にならず郵便局員になったのが、祖父のゼブロン・トーラーさん。

貧しい子どもたちにお金をあげるなど、とても優しい人物だったそうです。

ところが50代でペラグラという病に侵され、痛みと絶望に耐え切れず、自らを銃で撃ち亡くなります。

その3か月後に生まれたのが、正雄さんの父、ロバート・トーラーさん。

ロバートさんが幼少期を過ごした家が残っていました。

ゼブロンさん亡き後、一家は困窮し、家の向かいにある学校の教師に部屋を貸すことで、家賃収入を得て暮らしていました。

ウエイターのアルバイトをして家計を助けていたロバート。

チャーミングでハンサムな彼は、女の子たちにモテモテだったそうです。

18歳で軍人になった彼は、福岡の築城基地に配属されました。

1950年に勃発した朝鮮戦争では、韓国の金浦空軍基地へ配軍されました。

父と同じように郵便物を運ぶ仕事に従事していたようです。

築城の町は、アメリカ兵を相手とするバーがずらっと並び、ホステスと恋仲になるアメリカ兵が多かったそうです。

ところが、ロバートさんとスエ子さんは、全く違うドラマティックな出会いをします。




草刈正雄さんファミリーヒストリー:父と母のドラマチックな出会いと別れ、正雄さん誕生

築城は、スエ子の担当する路線バスのちょうど経路上の休憩地。

この町で、1人しか通れない橋を譲り合ったことが出会いとなったそう。

とてもドラマチックですね。

ほどなく同棲を始める2人。

その後、ロバートは東京にある基地に配属され、スエ子さんもついていきます。

すでにお腹に2人の子どもがいたスエ子さんは、東京で新しい生活を思い描いていました。

ところが、2人は別々の人生を歩むことになったのです。

スエ子さんの地元、福岡県行橋市に、その後の消息を知る人物がいました。

綿井寛さん。綿井さんの姉が、スエ子さんの同級生でした。

地元に戻ってきたスエ子さんと、たまたま会った綿井さんの姉は、思いつめた様子のスエ子さんを家にあげ、行くところがないという彼女を2階に住まわせてあげました。

そして、スエ子さんはそのままそこで、家族にも内緒で正雄さんを出産しました。

一方、父ロバートは、将校になる幹部候補学校へ行くことになり、陸軍に編入するため、アメリカへ帰国しました。

姉のジャニタさんによると、彼は日本での出来事を誰にも話をすることができず、神経衰弱に陥りました。

そのままロバートさんは姉の勧めで、西ドイツの陸軍へ行くことになりました。



草刈正雄さんファミリーヒストリー:母と子ふたりの生活苦から芸能界へ

スエ子さんは、アメリカのロバートさんに向けて手紙を書きましたが、受け取ったのはロバートの母と姉。

ただ、生活に困窮していたトーラー家には、どうすることもできませんでした。

スエ子さんに返事を書いたのは、姉のマーガレットさん。

僅かなお金と、状況を書いた手紙を同封しました。

その手紙で、すべてを悟ったスエ子さんは、正雄さんと2人で生きていくことを決意します。

まだ、外国人に対する偏見も強かった時代。

スエ子さんは、しがらみのない小倉へ移動します。

正雄さんが幼少期を過ごした小倉。

スエ子さんは慣れない町で、朝から晩まで働いていました。

大家の長男の山本徹さんによると、スエ子さんは正雄さんが周囲の偏見にさらされないように、身だしなみに気を使っていたと言います。

しつけもかなり厳しかったようです。

正雄さんが道に外れないように、必死に育てていた様子が感じられます。

中学卒業後は、本の訪問販売やスナックなどで稼ぎ、定時制高校の学費を稼ぎました。

17歳のとき、モデルクラブの目に留まり、業界に飛び込みます。

その当時の初任給が1万数千円、モデルクラブは5万円くれるという、お金目当てでしたと草刈さん。

それはそうですとも!




草刈正雄さんファミリーヒストリー:芸能界での成功と父母のその後

草刈正雄さんは、日本人離れした顔立ちと、美しいスタイル、爽やかな魅力で、あっという間にモデルや俳優として活躍していきます。

そんな正雄さんの様子を見て、スエ子さんも少しずつ父親のことを話すようになりました。

けして、父のことを悪く言わず、いつでも尊敬している様子は、正雄さんをほっとさせたそうです。

そんなスエ子さんは2010年に脳梗塞で亡くなりました。

息子のために生き、息子に救われた人生でした。

1953年、アメリカ陸軍として西ドイツに渡ったロバートさん。

その後、結婚して除隊し、商売を始めました。

婦人服を販売する会社を立ち上げ、7店舗を開店。

しばらく上手くいっていたのですが、最後は手を広げすぎて失敗したそうです。

その後、2013年に癌のため亡くなりました。

最後まで、日本での出来事を口にすることはありませんでした。



草刈正雄さんファミリーヒストリー:伯母からの手紙と草刈正雄さんの決断

伯母のジャニタさんが、正雄さんに向けて手紙を書いてくれました。

日本の甥を気遣っていたこと、消息が知れてとてもうれしいこと、親戚の写真を飾った壁に、正雄さんの家族も加えたいこと、などが語られていました。

そして、会いに来てほしいと締めくくられていました。

正雄さんは、その後大きな決断をします。

アメリカの親戚に会いに行くことにしたのです。

父が母と自分を残して、日本を去ったことに対するしこりが消えたわけではなく、とても悩んだそうですが、ジャニタさんの手紙には心を動かすものがあったとのこと。

ジャニタさんと、ジェイさんに会った草刈正雄さんは、とても感激されていました。

長い長い年月の末、ついに会えた父方の親戚。

複雑な思いはもちろんあるのでしょうが、会えてすごくよかったなと思いました。

とても感動的な回でした!




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