らんまん藤平紀子(ふじひらのりこ)実在モデルは誰?標本整理は実話?朝ドラNHK

こんにちは。らら子です。

らんまん最終週、カメオ出演の宮﨑あおいさん演じる藤平紀子(ふじひらのりこ)さん。実在モデルはいるのでしょうか?さっそく深掘りしていきましょう。

千鶴さんのモデルはこちらをご覧ください。

らんまん千鶴(ちづる)実在モデルは?女優は誰?身長は?息子や娘は?





らんまん藤平紀子とは?

宮﨑あおいさん演じる藤平紀子(ふじひらのりこ)。

ドラマでは万太郎の死後、東大泉の槙野家にアルバイトの面接に来ます。仕事内容は簡単な整理だと思っていたら、待ち構えていたのは膨大な標本の山。

千鶴さんから話を聞いて、いったんは断って帰ろうとします。

しかし、この膨大な標本も草花も、震災のあとに採集し直し、太平洋戦争の戦火をくぐり抜けて残ったことに気づきます。

つまり、これは万太郎やその家族が後世に伝えたいと残してきたものだと。後世に伝える手伝いをする決意を固めた藤平紀子さんは、この仕事に取り組むことにします。

仕事を始めた藤平紀子さんは、万太郎の日記や標本から行動記録を再構築することにします。

地名と植物が表書きされた新聞紙の包から、日付と正確な土地を割り出して行くと聞き、「わー!名探偵!明智小五郎ね!」と喜ぶ千鶴さん。

もう図鑑になってるから標本は捨てちゃってもいいかしら??とは思わなかったんでしょうね。

時系列で万太郎の生活を解き明かすことで、ドラマの終盤のエピソードを繋いでいくという、これまたにくい演出ですね。

史実では標本の整理は、どのように行われたのでしょうか。

牧野博士の死後、遺族によって図書は高知県で開園が決まっていた《高知県立牧野植物園》に寄贈されます。

標本は東京都立大学牧野標本館に寄贈されますが、ほとんどが新聞に挟まれたままで未整理の状態でした。




らんまん藤平紀子の実在モデルは山本正江さん?標本の掃除!

牧野標本館は昭和33年に完成した鉄筋2階建ての建物です。

ちなみに、牧野標本館のシンボルマークはヤッコソウを図案化したものです。

山元虎鉄(やまもとこてつ)らんまんヤッコソウ発見者:モデルは山本一小鉄?虎徹?新科植物学名由来は?NHK朝ドラ

およそ16万点にもおよぶ牧野標本は、東京・練馬区の牧野家からトラックで慎重に運びこまれました。

それを実際に整理したのは、大学職員、山本正江さんです。退職後の現在も分類作業を手伝っています。換算するとご年齢は80代なかば過ぎですね。

山本さんはアルバイトをしようと牧野標本館を訪ね、標本整理の臨時職員として採用されました。

以来60年以上、ご本人もまさかと思う長期に渡って、標本整理に関わることになります。

見た目に美しい牧野標本は、保管状態はよくなく、ほこりにまみれ、虫食いやネズミの糞などの被害もありました。

まずはそれらを清掃するところから始まったと言います。

確かにこの湿気の多い日本の民家で、新聞紙だけで標本を保管しておくのは無理がありますよね。

山本さんは標本を傷つけないように、細い筆を使って慎重に作業を進めていきました。

50年以上の月日をかけて、ひとつひとつ整備して目録を採っていき、2023年の現在までに「ほぼ完了」という状況です。



らんまん藤平紀子の実在モデルは坂井裕子さん?標本のラベル付けの名探偵!

ドラマで、標本の整理をすると同時に、標本地の解明と博士の行動記録を進めていった「名探偵」藤平紀子さん。

史実では、誰が名探偵だったのでしょうか??山本正江さんとともに、牧野標本館の臨時職員として働いていた坂井裕子さんも浮かび上がりました。

坂井裕子さんは、主に標本ラベルの作成をしていました。

自伝、書物、写真、手紙のやりとり、植物標本が挟まっていた新聞紙に書かれていた地名を頼りに、採集地を調べていきました。

新聞は現地調達だったでしょうから、ドラマで言っていたように、新聞の発行地も大きなヒントになったと思います。

合わせて地名辞典や現在の地名も参照して、標本ラベルを作る。

気が遠くなりそうな作業ですが、プロジェクトXのように、偉業の影にはそれをささえる地道な作業を行う人がいてこそですね。

山本さんと坂井さんの証言は、平成 20 年3月 に作成された記念誌 「牧野標本館50年史」に掲載されています。

内容は180ページほどで、牧野標本館所蔵標本とその特色、 関係者による 「牧野標本館の思い出」などを収録しています。

各地の大学や図書館などに配布されました。ご興味がある方は、地元の図書館で聞いてみたらいかがでしょう。



まとめ♪らんまん藤平紀子(ふじひらのりこ)実在モデルは誰?朝ドラNHK

ドラマの藤平紀子の実在モデルは、東京都立大学牧野標本館の元・職員、山本正江さん、そして坂井裕子さんと考えられます。

標本の整備作業は分担で進められたと言いますから、他にも同様の仕事をした人がいらっしゃるかもしれません。

詳細は、記念誌 「牧野標本館50年史」に掲載されていて、大学や図書館で見ることができます。

牧野博士の標本は、100年前の日本の植物を知る貴重な資料です。

100年間で同じ植物が気象条件により変わってきたことも確認できます。

 今では絶滅してしまい、屋内でしか見ることができない植物の標本も含まれています。

それだけでなく、重複している分は海外の標本との交換もできて、今も牧野標本館の充実に役に立っていると言います。

標本を後世に残すことで、世界中からの標本を今も増やすことができるんですね。

種として別の土地に植物を根付かせることもできます。ロマンが広がります。

 



シェアする

  • このエントリーをはてなブックマークに追加

フォローする

関連コンテンツユニット(レスポンシブ)