【文楽】新版歌祭文~野崎村 (しんぱんうたざいもん~のざきむら):かんたんあらすじと解説:見どころ

人形浄瑠璃の演目『新版歌祭文』(しんばん うたざいもん)の「第三幕 野崎村の段」。この段ばかり上演されるので、通称『野崎村』とも呼ばれます。歌祭文(うたざいもん)とは、三味線を弾きながら事件を伝える芸能のことです。今でいうワイドショーやゴシップ誌のようなものですね。

ザックリ言うと

裕福な油屋の娘お染(おそめ)と丁稚久松(ひさまつ)と許されぬ恋と心中。そして田舎で久松を待つ許婚のお光の恋模様。

旧暦の暮れも押しせまったのどかな村で起きる哀しい物語です。

この演目は、実話のお染・久松の心中事件をもとにしていて、で、当時も歌祭文にうたわれ評判となりました。

劇中にも三味線を弾きながら『お夏・清十郎』の心中事件を伝え、その内容を書いた祭文を売る「祭文売り」が登場します。『お夏・清十郎』はキーアイテムになります。




新版歌祭文 (しんぱんうたざいもん):あらすじ(ネタバレ)

油屋の丁稚久松には故郷の野崎村にお光(みつ)という許嫁がいますが、油屋のお嬢様のお染と許されない恋仲になっていました。

お染との縁談を狙う質屋の悪だくみにより、店の売掛金をだまし取られた久松は実家の養父・久作(きゅうさく)の元へ帰されてきます。

許婚のお光と祝言を挙げることになり、急なことに喜ぶお光。いそいそと祝言の支度をはじめるお光の前に、久松を追ってきた油屋のお染が現れます。

純朴な田舎娘のお光と都会的で大人びたお染。互いに恋の火花を散らします。お光は久作に連れられて奥に入ります。お染は久松と一緒になれなければ死ぬといいます。

実はお染は久松の子を宿しています。心中しかないと思い詰める二人を久作が、『お夏・清十郎』になぞらえて、若い二人を思いとどまらせようと説得します。





お染と久松は説得を受け入れたふりをしてその場を納めます。

ともかく久松とお光にいそいで祝言を上げさせようする久作。真っ白な綿帽子をかぶったお光が現れます。

綿帽子を脱ぐとお光はすでに髪を切って尼姿になっていました。心中するつもりであることを察したお光は、自分が身を引くことで二人を思いとどまらせようとしたのです。

さきほどから戸口で様子をうかがっていたお染の母が登場します。売掛金の件も解決し、久松も店に戻ることに。人目をはばかり、お染と母は舟で久松はかごで戻っていきます。

残されたお光は久松と夢見た結婚生活も絶頂のまま摘み取られ、こらえきれずに久作の胸にすがって泣き崩れるのでした。

(お光の献身の甲斐もなく、大坂にもどってほどなく、お染・久松は心中をします。)




見どころ:歌舞伎や他の作品との違い。

田舎から出てきて都会に奉公した久松、それを郷里でずっと待つお光。お光の思いにもかかわらず、都会の水にそまって奉公先のお嬢さまお染と恋におちる久松。

太田裕美さんの大ヒット曲『木綿のハンカチーフ』も同じ展開ですね。

いわゆる「お染久松(おそめひさまつ)もの」として、【染模様妹背門松】などいろいろバリエーションがあるなかで、この『野崎村』がずば抜けて上演頻度が高い演目です。

歌舞伎でも人気の演目で、まだ勘九郎だった十八代中村勘三郎丈が野崎村のお光をやったのを私はよく覚えていますが、お光のけなげさに泣けてしまいました。

その時は舞台上手に仮花道が設置されて、母娘を乗せた舟と久松を乗せたかごがそれぞれ両側の花道を進んでいき、それを本舞台から見つめ泣き崩れるお光という図が印象的でした。

誰が悪いのでもなく、それぞれ相手を思いやっているのに、誰も幸せな結末にはならない、切ない物語です。



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