『菅原伝授手習鑑(すがわらでんじゅてならいかがみ)』は、浄瑠璃三大名作のひとつ。
学問の神様ともいわれる菅原道真(すがわらみちざね)つまり菅丞相(かんしょうじょう)の九州大宰府への左遷(させん)に題材にとった大作です。
特に「寺子屋」は歌舞伎や文楽の鑑賞教室でもよく上演されています。
目次
『菅原伝授手習鑑』ザックリ言うと
かつて菅丞相の家来だった四郎九郎(しろくろう)のちの白太夫(しらたゆう)の三つ子、松王丸(まつおうまる)・桜丸(さくらまる)・梅王丸(うめおうまる)。
梅王丸は親に従い菅丞相(かんしょうじょう)の家来、桜丸は斎世親王(ときよしんのう)の家来となります。
しかし、松王丸は藤原時平(ふじわらのしへい)の牛飼い舎人(うしかいとねり)となりました。
そのため松王丸は桜丸・梅王丸とは敵対関係にあります。
桜丸は、斎世親王と菅丞相の養女・苅屋姫 (かりやひめ)との密会を手引きしたのが菅丞相失脚のきっかけとなり、自害。
白太夫と梅王丸は、左遷された菅丞相に従いそれぞれ九州・大宰府へ。
菅丞相は、藤原時平が天皇を亡き者にして自分が天下をとろうとしていることを知り、はげしく怒ります。竜神に変身して、京都へ飛んでいきます。
松王丸は、菅丞相(かんしょうじょう)の息子・菅秀才(かんしゅうさい)がいる寺子屋に息子を入門させ、身代わりとして犠牲にします。
『菅原伝授手習鑑』成り立ちと登場人物は?
三人の作者がそれぞれ親子の別れを描いており、大阪・天満の三つ子誕生のニュースや寺子屋ブームなど、当時の流行りをうまく取り入れています。
三つ子の名前は菅原道真が詠んだとされる和歌がモチーフになっています。
「梅は飛び 桜は枯るる 世の中に 何とて松の つれなかるらん(意味:梅は飛んで、桜は枯れたというのに、なぜ松はつれないのだろう)」
和歌にちなんだ名をもつ三つ子(梅王丸、桜丸、松王丸)の立場による争いと、菅丞相へのそれぞれの忠義を描いています。
この和歌は、四段目「天拝山の段(てんぱいざんのだん)」と「寺子屋の段(てらこやのだん)」と、2回出てきます。
「梅は飛び」は、飛梅伝説にもなり、飛梅という餅菓子もありますねー。桜丸は菅丞相の失脚の原因を作ったと申し訳なさに切腹。
松はつれないというのは、三つ子のうち松王丸だけが敵方に仕えていることを嘆いています。
三つ子の争いは、仕える主君の立場の違いによるもの。ある意味、菅丞相に巻き込まれた家族の話ともいえます。
二段目「道明寺(どうみょうじ)」三段目「佐太村(さたむら)」四段目の後半「寺子屋(てらこや)」の3つのクライマックスがあり、それぞれ親子の別れが描かれます。
『菅原伝授手習鑑』あらすじ:ネタバレ
『菅原伝授手習鑑』初段 プロローグ
大内の段(おおうちのだん)
賀茂堤の段(かもつつみのだん)
筆法伝授の段(ひっぽうでんじゅのだん)
築地の段(ついじのだん)
菅丞相(かんしょうじょう)には、実子の菅秀才が生まれる前に、姪に当たる苅屋姫 (かりやひめ)を出生間もなく養女に迎えました。
16歳になった刈谷姫は、帝の弟宮で18歳になる斎世親王(ときよしんのう)と恋仲になっています。
桜丸は妻の八重と一緒に、二人を牛車の中で密会させる手引きしますが、しかし周囲にばれてしまいます。
桜丸が親王を守ろうと争ううちに、斎世親王と苅屋姫はまさかの駆け落ち!それを政敵・藤原時平(ふじわらのしへい)につけ込まれ、菅丞相は失脚します。
菅丞相は、苅屋姫を親王に近づけ帝位を狙わせるという謀反の濡れ衣を着せられ、九州大宰府(きゅうしゅうだざいふ)に流罪となります。
書の達人でもある菅丞相は、流罪の前に元・弟子の源蔵に筆法を伝授します。
実は、源蔵は同じ館に仕えていた腰元の戸浪(となみ)と職場恋愛の結果、丞相から勘当されていました。
今は寺子屋の師匠の源蔵は、菅丞相(かんしょうじょう)の息子・菅秀才(かんしゅうさい)を、自分たちの子どもとして家にかくまうことにします。
『菅原伝授手習鑑』二段目 道明寺 菅丞相と苅屋姫 の別れと仏像がおこすミラクル
道行詞甘替(みちゆきことばのあまいかいのだん)
安井汐待の段(やすいしおまちのだん)
杖折檻の段(つえのせっかんのだん)
東天紅の段(とうてんこうのだん)
丞相名残の段(しょうじょうなごりのだん)
菅丞相が筑紫(九州)に送られる途中、養女・苅屋姫との親子の別れと奇瑞(きずい)が描かれます。
苅屋姫と斎世親王は菅丞相に一言詫びたいと、会いに来ますが、菅丞相は罪人の自分に会ってはいけないと拒否します。
護送の役人は、判官代輝国(はんがんだいてるくに)。この輝国は分別も男気もあるいい男。
彼の機転で、菅丞相は河内国道明寺の伯母覚寿(かくじゅ)の屋敷一泊することになります。覚寿は苅屋姫の実母です。
桜丸の進言によって若い二人は別れを決意し、苅屋姫は覚寿が、親王は父・宇多(うだ)法皇が預かることとなります。
苅屋姫の姉・立田前(たつたのまえ)は母の目を盗んで苅屋姫を父に合わせようとしますが、母に知られて折檻をうけます。
立田前の夫と義父は敵方の藤原時平の一味になっており、立田前を殺して池に捨ててしまいます。
一方、菅丞相は屋敷に居る間に自分の姿を木像に彫ります。
この木像が身代わりになって、偽の使いからの殺害を免れるなどの奇瑞がおこります。
輝国が迎えに来て、菅丞相は苅屋姫に会いたい気持ちを振り切って、九州へ旅立っていきます。
『菅原伝授手習鑑』三段目 佐太村(さたむら)三つ子の父・白太夫の古希祝と桜丸切腹
車曳の段(くるまびきのだん)
茶筅酒の段(ちゃせんざけのだん)
喧嘩の段(けんかのだん)
桜丸切腹の段(さくらまるせっぷくのだん)
藤原時平の乗った牛車に桜丸と梅王丸が襲いかかり、松王丸と争いになります。
数日後、三つ子の父・四郎九郎(しろくろう)は七十才の誕生日に白太夫(しらたゆう)と名を変え、上機嫌です。
訪ねてきた村人に祝い酒をせがまれ、酒ならすでに近所に配った餅の上に茶筅で振りかけてあると軽口を叩いてけむにまきます。
三つ子の妻たちが一足先にやってきて、仲良く祝いのしたくを始めます。
何かと行き届いている梅王丸と松王丸の妻たちにくらべると、桜丸の妻・八重(やえ)は若いのか振袖姿です。幼い雰囲気でお料理もなれておらず、ひっくり返したり指を切ったり。
梅王丸と松王丸は白太夫の留守にけんかをして、庭先に植えてある松・梅・桜のうち、桜の木を折ってしまいます。
松王丸は白太夫に勘当を願い出て受け入れられ、松王丸と千代(ちよ)の夫婦は白太夫に追い出されるように帰っていきます。
白太夫は梅王丸は菅丞相のいる九州に行きたいといいますが、それは認めません。梅王丸と春(はる)夫婦にも出て行けと言い、家には八重が残ります。
実は初めから家にいた桜丸が現れ、菅丞相流罪の原因になった責任をとって、八重と白太夫の前で切腹します。
『菅原伝授手習鑑』四段目前半
天拝山の段(てんぱいざんのだん)
北嵯峨の段(きたさがのだん)
菅丞相(かんしょうじょう)が主役となって登場。
白太夫は佐太村を出て大宰府にいて、菅丞相の身の回りの世話をしています。
菅丞相は黒々とした立派な牛の背中にのって登場。白太夫が牛の綱を引いてお寺に向かいます。
やつれてヒゲぼうぼうの菅丞相ですが、白太夫が牛をほめるのを聞いて勉強になったと喜んだり、それを見て白太夫も喜んだり、ほっこりする場面です。
お寺につくと、そこには佐太村の白太夫の庭にあった梅が飛んできて植わっています。
そこへ、藤原時平(ふじわらのしへい)の家来と戦いながら梅王丸が登場し、勝ちます。
家来の口から時平のさらなる悪だくみを知った菅丞相(かんしょうじょう)は、はげしく怒り、家来も殺してしまいます。
はげしい……。
この時使われる頭(かしら)は、このために作られた特別なもので「丞相」といいます。登場した時はお面をつけていて、それが外れると怖い怖い顔が出てきて表情が変わります。
竜神に変身した菅丞相天拝山から京都へ飛んでいきます。
一方、北嵯峨に隠れ住んでいた菅丞相の御台所(みだいどころ)は、その様子を夢で見ます。
御台所の身の回りの世話は、梅王丸の妻・春と桜丸の妻・八重がしています。
隠れ家が時平一味に襲撃されると、応戦しているうち八重は命を落とします。御台所はなぞの山伏に気絶させられ連れ去られます。
※2023年9月初代国立劇場さよなら公演では、昭和47年以来51年ぶりに北嵯峨の段(きたさがのだん)が上演されました。
『菅原伝授手習鑑』四段目の後半
寺入りの段(てらいりのだん)
寺子屋の段(てらこやのだん)
有名な「寺入りの段(てらいりのだん)」「寺子屋の段(てらこやのだん)」は、『菅原伝授手習鑑』四段目の切場(きりば)、つまりクライマックスシーンです。
ところ変わって寺子屋の場面となります。
武部源蔵(たけべげんぞう)と戸浪(となみ)夫婦が営む寺子屋。
よだれくりをはじめ近所のやんちゃな子どもたちが手習いに来ています。
子どもたちを少し離れたところで、手習にいそしむ少年。菅丞相の息子、菅秀才(しゅうさい)で、夫婦がかくまっています。
源蔵と戸浪はかつて職場恋愛を理由に菅丞相に勘当されていますが、恩義は忘れていません。
源蔵が役人に呼ばれた留守に、上品な母子が寺子屋にやってきます。母は息子の小太郎を寺小屋に入門させる挨拶をすると、近くで用事があるからと出かけていきます。
菅秀才の首を討って渡すよう命じられた源蔵は、育ちのよさそうな新入りの小太郎を見て、菅秀才の身代りすることを決意します。
敵方の松王丸とが首実験にやってきて、菅秀才の首であると認めます。
源蔵は驚きますが、実は小太郎は松王丸の実子で、同じ年頃の菅秀才の身代わりにするために寺子屋に送り込んだことが明かされます。
御台所を誘拐した山伏も実は松王丸で、御台所と菅秀才は再会。
松王丸と妻の千代(ちよ)は小太郎を弔うために去っていきます。
『菅原伝授手習鑑』五段目
大内天変の段(おおうちてんぺんのだん)
都に天変地異が続きます。竜神となった菅丞相が荒れ狂っているのです。宮中では法性坊阿闍梨(ほっしょうぼうあじゃり)が加持祈祷を行なっています。
上皇の使いとして、斎世親王(ときよしんのう)と菅丞相の養女・苅屋姫 (かりやひめ)、弟の菅秀才(かんしゅうさい)がやってきます。
藤原時平(ふじわらのしへい)は驚き、春藤玄蕃と二人の家来を引き連れて駆けつけ、菅秀才をとらえます。
首実検でだまされた春藤玄蕃は、時平の怪力で首をもぎ取られます。家来二人は雷に打たれ死にます。
倒れた時平の両耳から白い蛇が出て、桜丸夫婦の亡霊となります。亡霊に取り殺されます。父の仇のとどめを刺す苅屋姫と菅秀才。
そこへ天皇の宣旨が伝えられます。菅秀才が菅家を相続して家は復興。菅丞相には正一位が贈られ、北野天満宮に祀られて皇居の守護神となります。
※2023年9月初代国立劇場さよなら公演では、昭和47年以来51年ぶりに大内天変の段(おおうちてんぺんのだん)が上演されました。
『菅原伝授手習鑑』見どころ:歌舞伎との違い、名セリフ
『菅原伝授手習鑑』は、文楽で大当たりしてすぐに歌舞伎でも上演されるようになりました。
三段目の「車曳の段(くるまびきのだん)」は、歌舞伎では「曳」ではなく「引」の字が使われて「車引(くるまびき)」として独立した人気演目になっています。
荒事(あらごと)の様式です。文楽では「車曳の段(くるまびきのだん)」を上演することはあまりありません。人形ならではの独特の型や動きがあります。
続く「茶筅酒の段」は、歌舞伎では省略されることが多いのですが、白太夫や三つ子の妻たちの仲の良いようすや、かいがいしく働く人形の動きなどが楽しい場面です。
「喧嘩の段」になると事態は急に緊迫していきます。
四段目の「寺子屋」は、歌舞伎では「寺入りの段」を省略して「寺子屋」として上演することが多い人気演目です。
子どもたちもキャラがたっていて小芝居も多く、中でも体の大きな「よだれくり」は笑いをとります。
首実験から先は涙なくしては観られません。「せまじきものは宮仕へ」の名セリフで有名です。今もサラリーマンの心をうちますね。