女優の片岡京子(かたおかきょうこ)さん。永谷園のテレビCMやドラマで活躍中です。デビューのきっかけや、学歴、若い頃はどんなだったかご紹介します。
実は歌舞伎の名門に生まれたキャリアの長い女優さんです。片岡京子さんの経歴や夫、家族についてはこちらもご覧くださいね。
片岡京子:永谷園CM細川ふみえ似?旦那(夫)・父・兄・姉は誰?年齢や本名、経歴は?ドンブラザーズ出演!お茶漬の人ほそかわふみえ?
目次
片岡京子の若い頃:誕生日や学歴は?デビューはいつ?父は歌舞伎の人間国宝
片岡京子さん誕生日は1971年6月19日。父は、歌舞伎俳優で人間国宝の十五代目片岡仁左衛門(かたおかにざえもん)さんです。いわゆる梨園のおじょうさま。
3歳上の兄は女形の片岡孝太郎(かたおかたかたろう)さん、1歳上の姉は女優の片岡サチさん。片岡サチさんは元・宝塚男役スター。汐風幸(しおかぜこう)の芸名で活躍していました。
片岡京子さんの出身校は青山学院です。エスカレータ式に大学まで進み、専攻は文学部日本文学科で、卒業はせず中退のようです。
片岡孝太郎さんも片岡サチさんも、中等部まで青山学院に通っていました。
歌舞伎役者のお子さんは青山学院の方が多いですね。尾上菊之助さんや、中村芝翫さん、市川海老蔵さんも青山学院です。
片岡京子さんは、大学2年生の時にテレビドラマで芸能界にデビューしました。
デビュー作は1992年1月TBS創立40周年記念番組『源氏物語・下の巻』で、雲居の雁(くもいのかり)役です。
雲居の雁は、幼なじみの夕霧と初恋を実らせ結婚します。初々しい片岡京子さんに似合っていたでしょうね。
光源氏を演じたのは、父の片岡仁左衛門さん(当時は片岡孝夫)さんでした。
梨園のお嬢様らしい、理想的なデビューですよね。ちなみに片岡家ではご両親をパパ・ママと呼んでいたそう。
パパとして愛娘の成長に目を細めたり演技にハラハラドキドキしたり、気の休まらない現場だったのではと想像します(#^^#)
デビュー当時の片岡京子様 #クイズ脳ベルSHOW pic.twitter.com/t9RUJSn2PC
— 中途半端, (@Chutohanpa1234) September 23, 2021
(中途半端さんアップありがとうございます)
片岡京子の若い頃:『渡る世間は鬼ばかり』
1992年に『源氏物語・下の巻』でテレビドラマデビューを果たした片岡京子さんは、続いて同じくTBSのあの名作ドラマに出演。
1993年から1994年にかけて放映された『橋田壽賀子ドラマ 渡る世間は鬼ばかり』第2シリーズの第6回に登場します。
片岡京子さんの役どころは本間由紀(ほんまゆき)。岡倉家の五女、長子(ながこ)の夫となる本間英作の妹役で、当時は医大生。
お母さんの言うことをよく聞く優等生で、「おにいちゃーん」といういい方がキュートでした。
当時、お兄ちゃん(英作)と同じ部屋で暮らしていた本間由紀。お見合いの返事をお兄ちゃんに催促したかったママ(常子)からの命に従って。ママとお兄ちゃんを電話で対話させるために。講義をすっぽかしてまでお兄ちゃんの帰りを待っていた医大生の一幕
出典:watasuminet
後のシリーズでは、本間由紀は不妊治療との専門医となり、本間医院を継ぐと言い出して再登場。本間由紀役は 小林綾子(こばやしあやこ)さんに変更になっていました。
#片岡京子 1971年6月19日生、東京都出身。1992年、TBS創立40周年ドラマ『源氏物語』雲居の雁役で女優デビュー。昨今では、NHK大河ドラマ『麒麟がくる』に小見の方役で出演。渡鬼・本間由紀役。#渡鬼人物録 #今日は何の日
画像:TBS『橋田壽賀子ドラマ 渡る世間は鬼ばかり』第2シリーズ第6回 pic.twitter.com/2w3yf0HDE6
— 渡る世間の片隅で (@watasumi_net) June 19, 2021
前髪とか、電話の子機とか時代を感じさせますね(^_-)-☆
片岡京子の若い頃:初舞台はいつ?若手舞台女優の人気の理由は?
代々の歌舞伎役者の家に生まれた片岡京子さん。
自宅で台本を読んだりお稽古したりする父や兄、お稽古に訪ねてくる他の役者さんたちの姿を見て育ちました。
小さい時から、将来は女優になるんでしょうと周囲の人たちから言われて、自分でもいつかは演じる人になると思っていたそうです。
1992年のテレビドラマでの芸能界デビューに続き、1993年には、名女形の坂東玉三郎さんが監督した映画「夢の女」で二代目・楓役で出演。
舞台デビューの方は1994年。初舞台は明治座創業百年記念の十月公演『樅ノ木は残った』の宇乃役です。
初舞台で明治座とは、さすがに恵まれていますね。この時点では親の七光りといえるかもしれません。
片岡京子さんは、ちょっと古風な顔立ちの着物が似合う美人です。舞台に映える身長も魅力のひとつ。
他の若い女優さんでは、なかなか出せない古風な雰囲気と、初々しさがありますよね。
恵まれた容姿に演技力、さらに共演者の先輩俳優たちのアドバイスを素直に聞く姿勢が評価を高めていきます。
その後もコンスタントに舞台の仕事がオファーがはいるようになります。
1996年『坊ちゃん』マドンナ役、1997年『恋山彦(こいやまひこ)』おむら役、1997年『リア王』コーディリア役で出演。
新派公演の『婦系譜』、『ふるあめりかに袖はぬらさじ』などの新派公演など、主に舞台女優として活躍しました。
片岡京子の若い頃:結婚はいつ?夫・永谷竜一さんの学歴や経歴は?
片岡京子さんは、平成12年(1999年)に永谷園の創業者一族の永谷竜一さんと結婚。
披露宴は帝国ホテルで、開宴の日時は平成12年3月4日5時だそうです。
さすが歌舞伎の名門と有名企業のオーナー一族。列席者には、政財界や歌舞伎界、芸能界のビッグネームがずらりと顔をそろえたそうです。
永谷竜一さんは1964年生まれ。エスカレーター式に慶應義塾大学に内部進学。
法学部政治学科卒業後、アメリカに渡り、カリフォルニアのウエスト・コースト大学の大学院に留学しています。
専攻はMIBA( Master in International Business Administration)。日本語でいうと国際ビジネス管理の修士といったところでしょうか。
永谷園営業本部営業部長代理でした。現在は常勤監査役です。
片岡京子さんは、名家の若奥様と人気女優という二足のわらじを履くことになります。
家業を考えると、インスタント食品には困らなそうですが、きっとお手伝いさんがいるようなご家庭なんでしょうね。
片岡京子の若い頃:三田佳子の代役で『智恵子飛ぶ』主演!平幹二朗と共演!写真画像あり
『智恵子飛ぶ』の主役は三田佳子さんでしたが、次男が覚せい剤取締法違反で逮捕されて降板。
降板は初日6日前の10月26日に発表され、主人公の妹セキ役の片岡京子さんが主人公の智恵子役を、セキ役は渡辺多美子さんの代役になりました。
片岡京子さんは、智恵子役を1週間で仕上げて舞台は大成功をおさめ、翌年も京都南座で再演されました。
相手役の高村光太郎は平幹二朗(ひらみきじろう)さん。片岡京子さんは平幹二朗さんに大きな影響を受けて、平さんの演技を食い入るように見て学んだそうです。
平さんのお稽古や舞台にかけるエネルギーや情熱、妥協しない点。あと大スターで大ベテランでいらっしゃるのにお勉強する姿勢とか、若い人たちからも何かを吸収する姿勢を学びました。
出典:三井ホームキュレーターズ
こちらが、『智恵子飛ぶ』のチラシの画像です。この写真を見ると、若い頃は細川ふみえさんにはあまり似ていなかったようですね。
片岡京子:若い頃は?学歴は?デビュー作や結婚は?智恵子飛ぶ代役主演作!まとめ
ワタクシらら子は、1995年頃に歌舞伎座の前で、当時は片岡孝夫だった片岡仁左衛門さんとタカラジェンヌの汐風幸(現・片岡サチ)さんとすれ違ったことがあります。
お二人は、とても楽しそうに、歌舞伎座の前の横断歩道を渡っているところでした。わーなんてすてきな父娘!と思いました。
お二人が向かう方向を見て「ああ、今から新橋演舞場に舞台を観に行くのねー」と気づきました。
ちょうどその時、新橋演舞場で片岡京子さんが出演中だったのです。きっと、汐風さんが歌舞伎座まで迎えにいって、そろって舞台を見に行くんだなと思いました。
まだ片岡京子さんは結婚前で、舞台女優として大活躍していたころですね。
その後、片岡京子さんは結婚して、少しずつ仕事をセーブしていったようです。
今は「日本のお母さん」役として人気急上昇中の片岡京子さん。まだまだ初々しいヒロインやマドンナ役を演じてもらいたいですね。