鶴澤清治(つるざわ せいじ)さん のWiki的プロフ:人間国宝で唯一の三味線格(三味線弾きの最高格):切れ味鋭い攻めの三味線!

こんにちは~。 らら子です。

今回は、文楽三味線の鶴澤清治(つるざわ せいじ)さんをご紹介します。

今さらワタクシがご紹介するのもおこがましい、文楽好きなら知らない方はない、三味線の最高格、三味線格で人間国宝です。新聞やテレビでもよく取り上げられるのでご存知の方が多いのではないでしょうか?

最近では、2019年8月中旬の日経新聞「こころの玉手箱」に半生を連載されていました。
どんな方なのでしょうか?さっそくプロフィールを見ていきます。





鶴澤清治さんのwiki的情報。プロフィール、年齢や出身、芸歴は?

こちらが鶴澤清治さんのプロフィールです。まずは芸歴をご紹介します。

誕生日 昭和20(1945)年10月15日
出身地 大阪府(中国・大連生まれ)
本名  中能島浩

[芸 歴]

  • 昭和28(1953)年 9月 四代鶴澤清六(つるざわ せいろく)に入門
    • 鶴澤清治と名のる(7歳)
  • 昭和29(1954)年 1月 四ツ橋文楽座で初舞台
  • 昭和35(1960)年 5月 師の没後 養父(鶴澤徳太郎 後の二代道八(どうはち)の教えを受ける
  • 昭和39(1964)年 4月 十代竹澤弥七(たけざわ やしち)門下となる
  • 昭和51(1976)年11月から 四代竹本越路太夫(たけもと こしじだゆう)を弾く(平成元年5月越路太夫の引退までの13年間)
  • 平成19(2010)年 9月 重要無形文化財保持者(人間国宝)に認定される
    • 「三味線格」になる(三味線弾きとしての最高格)
  • 平成26(2018)年12月 日本藝術院会員

清治さんは太平洋戦争終戦直後の10月の生まれです。

今まで発表されていたプロフィールでは「大阪生まれ」となっていたと思うのですが、2019年8月の日経新聞では「中国・大連」となっています。戦後の混乱で、ことばに尽くせないいろいろなご苦労があったことと思います。

その後、養父の二世鶴澤道八さん夫妻の元で大阪で育ち、8歳になる前月に四世鶴澤清六さんに入門し、清治となります。





豆三味線として初舞台

入門の翌年『寿式三番叟(ことぶきしきさんばそう)のツレ(複数人で弾く時のサブ)で初舞台を踏みます。

子どもの三味線弾きは豆三味線と言われます。8歳の子どもに太棹三味線を扱うのは無理なので、背後に道八さんが付き添っていたそうです。

師匠の四世鶴澤清六さんは、その時すでに人間国宝。有吉佐和子さんの小説『一の糸』のモデルです。清治さんも子どものころから有吉さんにかわいがってもらったそうです。

その後、師匠の清六さん亡き後、今までの指導を受けていた養父の二世道八さんの元から十代竹澤弥七さんの門下になります。道八さんと弥七さんはライバル関係にあり、大きな話題になったそうです。

養父は「自分の手元に置いては甘えてしまう」と考えたのだろう。それまでは学生だったこともあり、覚悟が定まっていなかった。文楽三味線の基本や面白さを教えてくださったのが、弥七師匠だ。

出典:日経新聞 「こころの玉手箱」

すでに近畿大学法学部に進んでいた清治さんは、三味線の道に進むとは決めていなかったそうですが、弥七さんのもとで文楽三味線の面白さを知ったそうです。

弥七師は「テン」という一音もおろそかにせず、その音の持つ意味や心を手取り、足とりして丁寧に教えてくれた。いつも宿題を与え、三味線への意欲を高めてくれた。舞台、リサイタルなどにも力を貸してくれた。扇子で膝を叩きながらの熱心な稽古で師の膝にできたアザは今も忘れない。
出典:歌舞伎・文楽インタビュー

昭和51(1976)年11月に31歳の若さで人間国宝・竹本越路太夫さんの相手役の三味線に大抜てききされます。「●●太夫を弾く」と表現するんですね。

特定の太夫とコンビを組む三味線弾きを相三味線(あいじゃみせん)とも言います。コンビの竹澤弥七さんが亡くなったあとを弟子の清治さんが13年間、相三味線を勤めます。

当時すでに人間国宝の名人で、神様のような存在。そんな人の三味線を弾かせてもらうなんてありえないと思っていた。以来、越路師匠が引退されるまでの13年間、物語のクライマックスである「切場」を弾かせていただいた。このとき経験した約50段が、今の芸の礎になっている。

出典:日経新聞「こころの玉手箱」

それだけ清治さんの実力が飛びぬけていたということでしょうが、想像もできない大変な期間だったろうと思いますが、それが今の鶴澤清治さんの芸の格や幅をもたらしたのですね。



鶴澤清治さんのかがやける受賞歴!人間国宝、三味線格へ!

こちらが清治さんの受賞歴です。ズラズラズラっとまたすごいですね。

  • [受賞歴]
  • 昭和47(1972)年芸術選奨文部大臣新人賞
  • 昭和57(1982)年因協会奨励賞
  • 昭和58(1983)年大阪府民劇場賞
  • 昭和58(1983)年・昭和60(1985)年因協会本賞
  • 昭和60(1985)年・平成元(1989)年国立劇場文楽賞文楽優秀賞
  • 昭和62(1986)年・平成3(1991)年大阪文化祭賞本賞
  • 平成元(1989)年松尾芸能賞(優秀賞)
  • 平成2(1990)年・平成8(1996)年国立劇場文楽賞文楽大賞
  • 平成2(1990)年・平成3(1991)年・平成5(1993)年・平成8(1996)年・平成13(2001)年・平成16(2004)年因協会賞
  • 平成11(1999)年モービル音楽賞(邦楽部門)
  • 平成12(2004)年日本芸術院賞・恩賜賞
  • 平成17(2005)年大阪府知事表彰
  • 平成17(2006)年紫綬褒章受章。
  • 平成18(2007)年重要無形文化財保持者(人間国宝)「三味線格」(三味線弾きとしての最高格)になる。
  • 平成20(2010)年国立劇場文楽特別賞
  • 平成26(2014)年大阪市市民表彰、など多数受賞。
  • 平成26(2014)年日本藝術院会員。

31歳で人間国宝の相三味線になるほどの実力者とのことですが、若い頃から大曲をこなし数多くの受賞を経て、平成19(2000)年に人間国宝に認定され、三味線弾きの中で一番格の高い「三味線格」になります。



鶴澤清治さんの入門のきっかけは?竹本織太夫さんと鶴澤清馗さんは甥!妻や子は?

経歴でもふれたとおり、清治さんは7歳で文楽に入門していますが、それにはこのような背景があったそうです。

養父の鶴澤道八が文楽の三味線弾きだったので、同じ道を歩むべく有無を言わさず三味線の稽古をさせられた。戦争の影響で若手の演者が少なくなり、後継者不足が懸念されていた時期。当時の文楽は松竹の傘下にあり、客集めの話題作りのために子どもにやらせようという意向もあったようだ。1つ年上の豊竹咲太夫君も同じ頃に入門している。
出典:日経新聞「こころの玉手箱」

当時は修業の年齢の若者が戦争に行ってしまったために人材不足が深刻になった時期だそうです。

故・三宅周太郎さんの著書『続・文楽の研究』でも、戦争がおわって平和な時代を迎え、明るい話題として、豆三味線・清治さんと、豆太夫・豊竹咲太夫さんの入門に触れています。

養父・二代目鶴澤道八さん夫妻には可愛がられて育ったそうです。竹本織太夫(たけもと おりたゆう)と、弟で三味線の鶴澤清馗(つるざわ せいき)は、道八さんの孫です。清治さんの甥にあたります。また、入門時の師匠の師匠の四世鶴澤清六さんは、養父・道八さんの義兄(夫人同士が姉妹)にあたるそうです。

奥様やお子さんの情報はわかりませんでした。



鶴澤清治さんは作曲・復曲も多数。杉本文楽「曾根崎心中付り観音廻り(そねざきしんじゅう・つけたりかんのんめぐり)」なども。

三味線弾きの方は、作曲をこなします。清治さんは、作曲だけでなく上演される機会がなくなってしまった曲を復活させる復曲を多く手がけています。

主な復曲作品は、近松門左衛門作「用明天王職人鑑(ようめいてんのうしょくにんかがみ)」(2009年)、「津国女夫池(つのくにめおといけ)」(2010年)、「殩静胎内捃(ふたりしずかたいないさぐり)」(2011年)など。

主な新作作曲に、新作文楽「天変斯止嵐后晴(てんぺすとあらしのちはれ)」(2009年)、「不破留寿之太夫(ふぁるすのたいふ)」(2014年)など。

師匠の十代弥七さんが長年の相三味線の八代目綱大夫(現・咲太夫さんの父)を失ってから自殺に至るまでの晩年の苦悩を描いた創作浄瑠璃『弥七の死』(原作・山川静夫・元NHKアナウンサー)も作曲しています。

また、世界的な写真家・杉本博司さんとの文楽作品「杉本文楽 曾根崎心中付り観音廻り(そねざきしんじゅう・つけたりかんのんめぐり)」(2011年)での作曲・演出は話題になりました。

ニューヨークのリンカーン・センターの芸術祭「リンカーン・センター ホワイト・ライト・フェスティバル」でオープニングを飾るとのことです。



鶴澤清治さんは後輩の育成にも積極的。呂勢太夫(ろせたゆう)さんを弾く。

今も、東京や大阪だけでなく地方公演にも積極的に参加し、三味線の弟子だけでなく、後進の文楽技芸員の指導と育成に尽くしていらっしゃいます。

その指導方法は、性格や特徴をよく把握して、それぞれに合った指導をするという定評があります。若い太夫と組むことも多く、ここ数年は太夫のホープ豊竹呂勢太夫(とよたけ ろせたゆう)さんと組むことが多いです。
呂勢太夫さんが平成25年(2013)年に伝統芸能分野で将来の活躍が期待されるアーティストを顕彰する「日本伝統文化振興財団賞」を受賞した際には、受賞者を紹介するDVDにも三味線としてご出演でした。





妥協を許さない攻めの三味線

一方で、清治さんは切っ先鋭い攻めの三味線としても知られています。

時に太夫の語りをより良く引き出し緊張を高める工夫や、場面によってのりやテンポを駆使して、互いに刺激し合い、常に高いレベルの語り、三味線の世界を創出していかなくてはならない。
出典:歌舞伎・文楽インタビュー

そして、太夫と三味線はぎりぎりのところでぶつかり合うものだといいます。

最近は、お客さんも、楽に聞ける浄瑠璃を求めているように感じる。命懸けでぶつかり合うようなのははやらないのかもしれないが、僕と組む太夫には筒いっぱいの芸を求めている。

出典:日経新聞「こころの玉手箱」

30代で人間国宝の相三味線を勤めた清治さんが、今、50代の呂勢太夫さんを鍛えているということなんですね。こうやって年の離れた三味線と太夫が世代交代の流れのなかで教えたり教わったりしながら芸がつながっていくんだなぁと思いました。

次回観劇するときは、改めて清治さんと呂勢太夫さんを心して聴こうと思います。



らら子の萌えポイント。

若い頃から飛びぬけた実力をもった清治さん。誰もがむずかしくて困った難しい曲をなんの苦労もなく弾きこなして、作曲者をうならせたという伝説がたくさんあるそうです。

らら子も劇場で聴いていて、清治さんが弾き出すとさっと会場の空気が変わるのを感じます。
音も間合いもすばらしくて引き込まれます。

表情を表に出さないクールな雰囲気から、きっとこの方は天才なんだと思っていましたが、想像を超えた修業があってのことなんですね。
あらためて感じ入りました。

たまにお見掛けするプライベートのお姿は、ダンディ。メガネもおしゃれです。

ますますお元気でご活躍をお祈りしています。



参考にさせていただいたサイト。

公益財団法人 文楽協会 https://www.bunraku.or.jp/

歌舞伎・文楽インタビュー http://www.nohkyogen.jp/kensyo/int/bunraku-kabuki/66/turusawa_seiji.html

日経新聞「こころの玉手箱」文楽三味線 鶴澤清治

(1)https://r.nikkei.com/article/DGKKZO48629130W9A810C1BE0P00

(2)https://r.nikkei.com/article/DGKKZO48710650Z10C19A8BE0P00

(3)https://r.nikkei.com/article/DGKKZO48762060Q9A820C1BE0P00

(4)https://r.nikkei.com/article/DGKKZO48845890S9A820C1BE0P00

(5)https://r.nikkei.com/article/DGKKZO48862320S9A820C1BE0P00