こんにちは! らら子です。
今回は、文楽三味線の六世鶴澤燕三(つるざわ えんざ)さんをご紹介します。
鶴澤燕三さんは、現在一番格が高い切場語りで人間国宝の太夫(たゆう)豊竹咲太夫(とよたけ さきたゆう)さんのと相手をを勤めることが多いです。また、333年ぶりの全曲復曲におる上演で話題となった『出世景清(かげきよ)』の作曲者でもあります。
おめでとうございます!晴れやかなニュース!#鶴澤燕三 さん「芸はうそをつかない」#紫綬褒章 の #文楽 #三味線奏者:時事ドットコム https://t.co/lKpdlp8Ue3 @jijicomより
— らら子 (@bunrakukimono) April 28, 2021
「芸はうそをつかない」という言葉通り、どんな時にもひたむきなお姿が人々の心を打ちます。義理を重んじるエピソードもたくさんあります。
どんな方なのでしょうか?さっそくプロフィールを見ていきます。
目次
鶴澤燕三さんのプロフィール、年齢や出身、芸歴は?受賞歴は?
こちらが、燕三さんのプロフィールです。
誕生日 昭和34(1959)年1月30日
出身地 神奈川県
本名 田中紳一
[芸 歴]
- 昭和52(1977)年 国立劇場文楽第4期研修生となる
- 昭和54(1979)年 五世鶴澤燕三(人間国宝)に入門
- 鶴澤燕二郎(つるざわえんじろう)と名のる
- 昭和54(1979)年 7月 大阪・朝日座で初舞台
『艶容女舞衣(はですがたおんなまいぎぬ)』「道行霜夜の千日(みちゆきしもよのせんにち)」- 平成18(2016)年 4月 六代鶴澤燕三を襲名(しゅうめい)
燕三さんは神奈川県生まれ。ですが、実はハワイで育ちました。
一点を見つめるきっちりとしたいかにも和風な舞台姿からは、ちょっと意外ですね。
お父さまのお仕事の関係で、海外生活が長かったそうです。
高校卒業後、国立劇場の文楽研修生となります。二年間の研修後、五世鶴澤燕三さんに入門し、鶴澤燕二郎さんと名のって初舞台を踏みます。
平成18(2016)年に、亡き師匠を継いで六世鶴澤燕三となります。
鶴澤燕三さんは祝!第41回松尾芸能賞受賞!優秀賞に!
2020年2月に第41回松尾芸能賞が発表されました。優秀賞に文楽部門として鶴澤燕三さんが受賞が決定いたしました!
文楽三味線方として初舞台から40年を越え、現在では切場語りで人間国宝 豊竹咲太夫の三味線を弾き大曲に取り組む機会も多く、地道で着実な舞台成果を上げている。新曲、復曲の手付にも功績を残し「摂州渡辺橋供養・橋供養の段 」や毎年祇園「都をどり」の作曲、近松門左衛門「出世景清」では全段を復曲し大きな成果を上げた。
出典:第41回松尾芸能賞
松尾賞受賞のひとつの理由である「出世景清」については以下もご覧ください。
『出世景清(しゅっせかげきよ)』を素浄瑠璃(すじょうるり)で聴く@紀尾井ホール:観劇レビュー
【予習】『出世景清(しゅっせかげきよ)』素浄瑠璃(すじょうるり)公演
鶴澤燕三さんの受賞歴がすごい:紫綬褒章
燕三さんは、若い時から受賞を重ねています。ここに書くと長くなりすぎるので、主なものだけ載せていきますね。
昭和61(1986)年の文楽協会賞を皮切りに、因(ちなみ)協会奨励賞、国立劇場文楽賞文楽優秀賞、奨励賞など、数えきれないほど受賞しています。
平成30(2018)年 4月には 第37回(平成29年度)国立劇場文楽賞文楽大賞を受賞。
外部の章では令和 2(2020)年 2月 第41回松尾芸能賞 優秀賞、令和 3(2021)年 5月 紫綬褒章です。
下に外部の受賞のみをピックアップしました。いずれは文化勲章でしょうか、まだまだ増えそうです。
昭和62(1987)年 1月 大阪文化祭賞奨励賞
平成10(1998)年 2月 大阪舞台芸術賞奨励賞
平成25(2013)年 7月 平成24年度(第69回)日本芸術院賞
平成30(2018)年 4月 第37回(平成29年度)国立劇場文楽賞文楽大賞
令和 2(2020)年 2月 第41回松尾芸能賞 優秀賞
令和 3(2021)年 5月 紫綬褒章
鶴澤燕三さんは帰国子女!入門のきっかけは?
小学生時代はハワイで過ごした燕三さん。
日本人学校に通っていたそうですが、現地校へ転校します。そこで出会ったのがハワイの小学校の必須科目であるウクレレ。
ここで弦楽器に出会ったのですね。でもそのまま三味線にはつながらず……。日本に帰国後は神社のお祭のお囃子の横笛に惹かれます。
燕三さんの地元、葉山の御霊神社のお囃子でお師匠さんから横笛を習い、ついで笛とのからみで太鼓も習って両方演奏するように。
帰国後の高校三年生の冬休みに、NHK教育テレビで三味線特集を見ます。今でいう、Eテレですね。
番組では、長唄、民謡、義太夫、津軽三味線、いろんな三味線を扱っていて、三味線に興味を抱くようになったそうです。
三味線の音も形も気に入った燕三さん。そのことを同級生に話すと、同級生のお母さんが習っている逗子の民謡教室に連れて行ってもらえました。
なんという運命の出会いでしょうか。
その時、ご両親は香港駐在だったので、進路についてお姉さんに相談。
お姉さんは大学進学より三味線の道に理解を示し、ポンと三味線一式を買ってくれたそう。お姉さんといっても、せいぜい20代でしょうから、その肝の座り方はすごいですね。
燕三さんは高校3年生の冬休みから、晴れて三味線を習いに、その民謡教室に通うことになります。
鶴澤燕三さん文楽の入門のきっかけは?
さて、高校3年生の終わりに三味線を習いはじめた燕三さん。
おばさま方に混じってひとり高校生なので、とても可愛がられ、ますます三味線好きになっていきます。
プロになりたいなと思いはじめたころに、福岡からいとこのお姉さんがたまたま家に遊びに来ます。
そのいとこの方は、淡路の人形芝居について大学の卒業論文で書いていました。文楽についても詳しくて、国立劇場の研修生募集中と教えてくれたそうです。
その場でいとこさんが国立劇場に電話して、なんと燕三さん次の日にはもう国立劇場に説明を聴きに行ったとか。
燕三さんの一族は行動力がすごいですね。文楽の女神様にニッコリほほえみかけられた感じです!
文楽の女神様には後ろはたぶんつるっぱげで、前髪をつかみ損ねたらチャンスはない。
燕三さんはみごとその前髪をつかんだということですね!
鶴澤燕三さん、五世燕三さんとの師弟愛。
文楽研修生としての2年間を終えると、それぞれのお師匠さんを選ぶことになります。
文楽の演者さんは「師匠がこう言った」「師匠にこう教わった」と、よくお師匠さんの話をします。
お師匠さんに厳しく愛情豊かに育てられて、一生懸命修行するから、あんな深い情愛の世界がえがけるんでしょうね。
燕三さんは厳しく愛情深く教えてくださる五代目燕三さんに出会い、「このお師匠さんについていこう」と決心して入門します。
師匠宅の近くにアパートを借りて、朝早くから師匠宅に伺いご飯もいただき、夜は寝に帰るだけの生活。先代の奥様にも可愛がられたそうです。
「鶴澤燕二郎」というお名前で、修業に励む日々を送ります。
しかしある日、お師匠様は「ひらかな盛衰記(ひらがなせいすいき)」の「逆櫓 さかろ」を舞台で演奏している時に脳内出血で倒れます。
師匠の五世燕三さんは、そのまま舞台に復帰することなく6年半後に亡くなりました。
燕三さんは舞台や稽古の合間を縫って師匠の元へ通い、介護を献身的に勤めたそうです。
鶴澤燕三さん、病気で倒れた師匠の代役を浴衣姿でつとめて話題に。ご自分も脳梗塞を克服
五代目燕三さんが病気で倒れた時、相手をつとめていた太夫は故・住大夫さんでした。
三味線の音がしなくても語り続けていたそうです。客席では気づいていないお客さんもいたとか。
燕三さんはその時、勉強のために裏で演奏を聴いていました。いち早く異変に気付いた燕三さんは、師匠を引きずって舞台裏へ運び入れます。
そして浴衣姿のまま急きょ舞台にあがり、とにかく続きを演奏をしたというエピソードは、大きく話題となり語り継がれています。
その間に、先輩の野澤錦糸さんが舞台用の肩衣姿に着替えて、そのあとの演奏を引きついだとのことです。
のちに燕三さんが六代目を襲名をした時は、師匠が倒れた時に演奏していたのと同じ曲を選びました。
三味線は演奏するときに、息を止めたり力んだりするので心臓や血管に負担がかかるそうです。当代の燕三さんも2014年に軽い脳梗塞で入院休演しています。
その後、厳しいリハビリの後で復帰して今のようにご活躍です。くれぐれもお体を大切にしていただきたいですね。
鶴澤燕三さんの妻は切り絵作家の杉本みどりさん。
そして、奥様は切り絵作家の杉本みどりさんです。
杉本みどりさんは、1959年東京生まれで女子美術大学洋画専攻卒業です。
文楽をテーマにした繊細な切り絵の作品を展覧会で発表しています。
文楽のプログラムの挿絵や、トートバッグやチケットホルダーなどのグッズにもなっていますし、ポストカードブックも発売されています。
劇場の売店で売っていますが、どれも繊細で愛らしいです^^
ご夫妻で文楽にまつわるお仕事をするってすてきですねー。
劇場でも、お着物姿でご贔屓さんにご挨拶している奥様のお姿をお見かけします。
鶴澤燕三さんの特技や趣味は?インスタグラムやTwitterは?
Twitterやインスタグラムでも情報発信をしている若い技芸員(演者)さんが増えていますが、残念ながら、鶴澤燕三さんのインスタグラムはTwitterは見つかりませんでした。
ただ、お弟子さんの燕二郎さんのインスタやTwitterは見つかりました。
あんまり更新されてないみたいです……(^^;
ラーメン 🍜とか食べ物ネタが多いですけど、そのうち燕三さんが登場する日もあるかも??
らら子的萌えポイント
燕三さんは小柄でシャイな印象な方です。
三味線奏者は床にペタンと座るので、小柄に見えますが、その中でも特に床に近い。
演奏する姿を見ると、とても真面目で誠実な方なんだろうなと思います。優しそうに見えますが、激しさも感じます。
そんな複雑な印象を与える燕三さんが舞台に登場すると、いつも「キターーー――!」と胸が高まるらら子でした。
参考にさせていただいたサイト:
公益財団法人 文楽協会 https://bunraku.or.jp/index.html
KENSYO 能狂言・歌舞伎・文楽 役者インタビュー 鶴澤燕二郎改め鶴澤 燕三http://www.nohkyogen.jp/kensyo/int/bunraku-kabuki/60/enjiro.html
ポプラビーチ志事人に会いたい http://www.poplarbeech.com/shigoto/002114.html
コメント
鶴沢燕三さんのお話をNHK深夜便で楽しくお聞き致しました♪一時ご病気で入院されてましたがお元気になられご活躍をされてますが今もリハビリ続けて居られると言われてました、そう言うところが凄い方だと思いました。何事にもひつこくやるのが大成の一つかとも思いました、文楽座に出演されているとの事一度聞きに行きたいと思っております。
水口知子さま
コメントありがとうございます。深夜便でお話が出たんですね。
三味線もお人柄通り、ひたむきで真っすぐで熱いです。
今月、大阪の文楽劇場の4月公演は一部にご出演ですね。
一度ぜひ生でお聴きになれますように。