IKKO(イッコー)若い頃:どんだけ?名言や着物の着こなしがカッコイイ!年齢は何歳?本名は?意味は?池田重子さんとの絆

こんにちは。らら子です。

今回は美容家・タレントのIKKO(イッコー)さんをご紹介します。還暦をすぎて、ますますキラキラかわいくなっています!

IKKOさんといえば「どんだけ~」で大ブレイクした元祖・オネエキャラタレントですが、実はカリスマ級のヘアメイクアーティストでもあります。

かつては「女優メイクIKKO」を確立し、多くの女優から大絶賛。ご自身でも美肌や美脚を保ち、美容商品だけでなく書道や着物の分野でも数々の賞を受賞。

着物好きのワタクシらら子としては、IKKOさんの和装にも大注目。着付けのポイントやこだわりについても探ってまいりましょう。

(出典:ORICON)




IKKO(イッコー)さんの若い頃:年齢は?本名は?身長は?意味は?Wiki的プロフィール

IKKOさんは、1962年1月20日生まれ。福岡県出身の九州男児です。身長は171cm。A型。

本名は豊田一幸さん。IKKOの意味は、本名の音読みをローマ字にしたんですね。

実家は美容室を経営。小学生のころにはもう日本髪が普通に結えていたそうです。19歳の頃に九州から上京し、美容室に住み込みで美容師修業を始めます。

IKKOさんが修業したのは、横浜元町の「髪結処 サワイイ(現ビューティバランス)」です。

オーナー夫人で当時のフロアマネージャーの澤飯公子(さわいいきみこ)さんは、「IKKO」の名付け親。「こわ~い師匠」「心の母」としてたびたびテレビに登場します。

IKKOさんは、美容室に勤務しながらメイクスクールにも通っていました。

少年時代から女装願望があったIKKOさんは、女装しないまでも自分もメイクしてお店に出ることを希望。

オーナーは、1か月100万円の売り上げ条件を出して許可したそうです。

8年間「髪結処サワイイ」で美容師に従事した後、27歳で独立してヘアメイクアーティストを目指します。

(出典:Yahoo!ニュース)




IKKO(イッコー)さんヘアメイクアーティストとして売れっ子に!撮影現場での気配りがすごい

IKKOさんは27歳でフリーランスのヘアメイクアーティストとして独立。

独立してもすぐ仕事はないので、ヘアメイクアーティストが多い事務所「アトリエ GORO」のオーディションを受けて所属。伊藤五郎さんに師事します。

半年ほどで「美しいキモノ」の表紙で女優の眞野あずささんのメイクを担当するほどになりました。

女性誌やファッション誌の表紙をはじめ、テレビ・CM・舞台などのヘアメイクなどで売れっ子になります。

ワタクシらら子の手元にある1998年のお着物の本にも、本名の豊田一幸さん名義で和装のヘアメイクを担当した写真が載っています。

毛の流れが一本一本滑らかで、がちがちに固めることもなく、毛先までそれはそれは本当に美しいのです。

女優さんやモデルさんだけでなく、着付師さんや、着物研究家のご指名も多かったでしょうね。

IKKOさんのすごいのは、カリスマ級のヘアメイクの実力だけでなく、撮影現場で女優さんやモデルさんの気分を上げるために、細かく気配りするところ。

とはいえ、メイクの場所は、殺風景な撮影現場の片隅。

IKKOさんは、テーブルクロスをかけたり、お花を飾ったり、飲み物を用意したり、気分よく過ごしてもらうための工夫をいろいろします。

IKKOさん以外のスタッフも、おそろいのきれいなエプロンをつけたりしたそうです。

女優さんやモデルさんのために、まずヘアメイクの場所をきれいに飾って、IKKOさん自分もきれいしていることを実践していたのですね。



IKKO(イッコー)さん30代で『女優メイクIKKO』確立!美容家に転身!

IKKOさんが大切にしている言葉は「浄美心」。

外見だけではなく、内面を磨いていくこと、目に映る景色(環境)を大切にしていると語っています。

こうして相手を思いやり、相手を喜ばせることで、女優さんやモデルさんがますますきれいに輝くというこということを、若い頃からわかっていたIKKOさん、さすがです。

ヘアメイクアーティストとして活躍を通して、IKKOさんは『女優メイクIKKO』を確立、さらに売れっ子になっていきます。

IKKOさんはだんだん美容家としての活動を活発にし、化粧品や美容グッズのプロデュースを手がけるようになります。

30代でアトリエIKKOを主宰。ビジネスマネジメントの事務所に入り再スタートします。

美容師からヘアメイクアーティストになった時は、それまでのお給料も住環境も家具も服もすべて捨てて、いちからリセットしました。

今度はプライベートを捨てて仕事に打ち込みます。

美容家として商品開発のほか、韓国、ハワイ、沖縄での活動もどんどん増やしていきます。



IKKO(イッコー)さんの名言!どんだけ~で45歳でブレイク

IKKOさんの座右の銘は、「常識の角度を塗り替える」。

わかるようなわからないような言葉ですが、たぶん常識をこわして違った角度からものをみて徹底して努力して行くってことなんでしょうね。

19歳で上京した時は成功するまで地元に戻らないと決意したそう。

ヘアメイクアーティストとしてして独立したとき、美容家として活動を始めたとき、それぞれの時に覚悟を決めてチャレンジをしていきます。

10年ごとに自分の引き出しを空っぽにし、新たな展開を続けるというIKKOさん。

「空っぽの引き出し」にする理由は「満タンになったところには、新しいものが入ってこない」からだそうです。

仕事のプレッシャーからパニック障害に苦しみつつ、やがてメディアでも名前が売れるようになり、2003年、41歳のころからテレビに出るようになります。

顔の前で人差し指を左右に振りながら「どんだけ~」というセリフで大ブレイクしたのは45歳。

これはIKKOさんのオリジナルではなく、新宿二丁目のママの口癖がつい出たそうですが、2007年流行語大賞にもノミネートされます。

2007年12月5日には「どんだけ~!の法則」で歌手デビューも果たします。

2008年以降はさまざまな分野で数多くの賞を受賞。「韓国名誉大使」にも就任し、今の活躍につながっています。




IKKO(イッコー)さん着物への想いと着こなしのポイント!着物ブランドはドコ?

IKKOさんはお着物が大好き。

50代からは太ってしまったこともあり、トレードマークとして人前に出る時は着物で統一しています。お着物なら体型カバーもできますからね^^

着こなしにも、選ぶお着物にも、IKKOさん独特の審美眼を感じます。

まず、ふつうの女の人の和装と違うのは衿元。半襟を浮かせて高さを出し、肩の一部が見えるほど首の周りを大きくあけています。

これで、顔の大きさとのバランスを取っているのですねー。

さらに極端にボリュームを出したヘアスタイルで、卵型のフェイスラインを実現。お顔を小さく見せる効果も。

お着物の方も、前帯や帯締めを斜めにずらして、目の錯覚でスリムな縦長を演出しています。

IKKOさんは、アンティーク着物研究家で東京目黒に「時代布と時代衣裳 池田」というお店を出していた池田重子さんと親しく、かねがね「池田さんのきものしか着ない」と公言していました。

池田の着物はアンティークと、アンティークを復元した新品を扱っています。

IKKOさんの身長は171cm。ふつうの男性の体格なので、アンティーク着物をそのまま着ることはできません。

帯で隠れる胴の部分に別布を縫い足して長さを調節しているということでした。

それって、着物を横に2つに切ってしまうことを意味します。

そうまでして着物を着たいというIKKOさんの「乙女心」を、池田重子さんはとてもいとおしく感じていたそうです。




IKKO(イッコー)さん着物研究家・池田重子(いけだしげこ)さんとの絆:雅冬炎(みやび とうえん)の巻手紙

(出典:ORICON)

池田重子さんはおしくも2015年に亡くなりました。

「追悼 日本のおしゃれ展」では、IKKOさんは「いろんなことを教えてくれた大先生」と、池田さんへの巻手紙を手に、涙ながらに思い出を語っていました。

生前の池田さんがIKKOさんについて語ったことで、ワタクシらら子が印象に残っているのは、豊田一幸さん時代のエピソードです。

ある撮影で、池田重子さんがひとこと「行方不明にしてね」といったら、IKKOさんは聞き返しもせずに完璧な「行方不明」の髪型を結い上げて感心したと話していました。

「行方不明」というのは大正時代に流行した髪型です。前髪で大きく高くひさしを作って髷(まげ)が見当たらないというのが行方不明の語源だそう。

そんな古い髪型をきちんとマスターしていた豊田青年に池田重子さんは驚き、そして大きな信頼を寄せたのでしょうね。

IKKOさんは、50代から始めた書では雅冬炎(みやび とうえん)という雅号も持っています。

お世話になった方々へのお礼は毎日欠かさず書いているとのこと。

自分の信念と思いやりを持ち、華やかな世界を創り出すために人の何倍も努力研究する、そんなIKKOさんの生き方はかっこいいですね。

美容家としてのIKKOさんは、現在不老長寿の肌を目指しています。よろしくお願いしま~す!




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