こんにちは。らら子です。
楽しみに見ているNHK朝ドラ『らんまん』。2023年8月2週「ヤッコソウ」で登場した発見者の山元虎鉄(やまもとこてつ)少年。
山元虎鉄のモデルはいるのでしょうか?ヤッコソウ発見の経緯やその後はドラマとは、どうちがうのでしょうか?
ヤッコソウ、2023年8月10日放送分で初めて姿を見ましたが、あれはレプリカなんですって!!
レプリカ製作やロケ地、標本についてもご覧くださいね。
らんまん珍奇植物ヤッコソウはレプリカ!製作はドコ?標本はドコで見られる?朝ドラNHK連続テレビ小説
おはようございます。
朝ドラのらんまんを見ていました。
山野草のヤッコソウが登場していました。 pic.twitter.com/WOnmWfdEld— niko (@nikochan527) August 9, 2023
(niko@nikochan527さんアップありがとうございます)
目次
山元虎鉄:モデルは誰?珍奇植物ヤッコソウ!味は?
ふるさと高知県を旅して、土佐の植物採集を全面的にやり直している万太郎(神木隆之介)。
ある日、山の中でお遍路(へんろ)さんを道案内している少年と出会います。
少年は遍路宿「角屋」の息子とのこと。
キノコ狩りのカゴを腰につけているのに目を留めた万太郎は、マンネンダケのありかを少年に教え、代わりに少年の一番好きな植物を教えてもらいます。
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「小さいお遍路さんがいる」
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それは、お遍路さんの旅姿に似たなんともかわいらしい形の植物。いきなり地面から白っぽい実のようなものが群生しています。
てっぺんの帽子のような部分をなめてみると、かすかに甘い、蜜の味。
ということは花が咲いている。でも葉っぱもないので光合成はしないはず。
どこから養分をとっているのかと思うと、そばにある大きな椎の木(スダジイ)の根に寄生してらしいと気づく万太郎。
大興奮して少年にこの植物の名前を聞くと、
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「山元虎鉄(やまもとこてつ)」
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……いや、この植物の名は……(^^;?と万太郎。
やまもと……こてつ??……山本小鉄!?と脳内変換してしまった皆さんはワタクシのお仲間。
字が違うのね。
さて、この山元虎鉄(やまもとこてつ)少年のモデルは誰でしょうか?
高知新聞によると、高知県幡多郡中村から数里離れたところで中学生が見つけたとあります。
ヤッコソウ発見の経緯は次のようなことである。すなわち、高知県幡多郡の中村から数里離れた土地で中学生が見つけた植物
出典:高知新聞 シン・マキノ伝
高知県幡多郡の中村は現在の四万十市の中心部。
1里は4キロなので、30キロほどでしょうか?発見場所は現在の土佐清水市にあたります。
山元虎鉄:役名の由来は山本小鉄?山本一?ヤッコソウ発見の史実は?
さて、発見者の山元虎鉄(やまもとこてつ)少年。
なぜこの役名になったのでしょう?
史実では、この珍しい植物は明治39年(1906)に高知県幡多郡の中学に通う中学生が発見。それを教師、山本一先生が牧野博士に送ったのがきっかけだったのです。
山中でお遍路宿の息子が見つけたというのは、ドラマのフィクションですね。
ドラマの山元少年の名字は、山本一先生にちなんでいるのでしょう。なぜ、そうする必要があったのかは続きでどうぞ!
牧野富太郎博士は高知県土佐清水市で発見されたこの珍奇な植物に「ヤッコソウ」と命名しました。もともとは中学生が発見したもので、それを教師の山本一が博士に送ったものです。
出典:高知新聞
もう少し詳しく調べてみると、発見されたのは土佐清水市にある加久見天満宮の境内。山本一先生の引率で出かけた植物採集で中学生が見つけました。
幡多郡の中学教師だった山本一が生徒を連れ、土佐清水市へ植物採集に出掛けた。その生徒の1人が加久見天満宮の境内で、この植物を発見する。山本は牧野に標本を送り、それが新種の植物であることが確認されたのだった。牧野は山本と自分の名を付した学名で「ヤッコソウ」を発表した。
出典:高知新聞
山本一先生から菌類研究者の草野俊介博士を介して渡されたという説もあります。
いずれにしても、牧野博士は新種ではないかと送られてきた標本を見て、初めてその存在を知ったのですね。
高知植物採集旅行中の運命的な出合いではありませんでした。
牧野博士は、山本一先生に敬意を表して学名をつけます。これは献名というならわしです。
山元虎鉄:名字の由来は学名!ヤッコソウ科ヤッコソウ属ヤッコソウは和名
この植物に牧野博士は「ヤッコソウ」という和名をつけました。
大名行列の奴さんが練り歩く姿、または踊る姿に似ているからだそうです。
ドラマでは妻のおすえちゃんが「奴さんみたい」と言っていましたね。
この発見は、属する科がないために新科を創設するという世紀の大発見で、「植物学雑誌」で明治42年(1909年)に発表。
(当初1911年と記載していたところ、コメント欄でご親切な方が正しい発表年を教えて下さいました。おわびして訂正いたします。)
牧野博士ゆかりの代表的植物の一つとなりました。
この「ヤッコソウ」は和名で当時の表記は「やつこさう」です。
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学名はMitrastemon yamamotoi Makino
読みはミトラステモン・ヤマモトイ・マキノ
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ヤッコソウ科(Mitrastemonaceae)でヤッコソウ属(Mitrastemon)。
Mitrastemonという属名は、Mitra(僧帽状の)+stemon(雄しべ)をかぶったという意味だそう。
カトリックの司教が被る帽子をMitra(ミトラ)というのですね。
yamamotoi (ヤマモトイ)は山本一先生への献名です。語尾につく”i”はその人が男性であることを示しています。
あれ?でも、
第一発見者の中学生の名前は見当たりません。せっかくなら生徒の名前も入れてあげればよかったのに……。
という視聴者の気持ちを先取りしたのか、発見者の少年の名前を学名に入れる感動的な展開にしたかったのか、
ドラマでは山本一先生と読みが同じで別の漢字の山元(yamamoto)にしたのだと思います。
これが、山元虎鉄少年の名字の由来です。牧野⇒槙野と同じ理由ですね。
山元虎鉄:虎の由来は植物学者の名前!
山元虎鉄少年の下の名前の由来は、もしかして本当に山本小鉄なのかしら……
それにしても妙に画数の多い名前、お遍路宿を営むご両親はインテリなのかな?
などとと思っていたワタクシですが、違いました!
もう少し調査したところ、高知の植物学者、吉永虎馬(よしながとらま)さんの名前が浮上してきました。
吉永虎馬さんは、牧野博士のひと回り年下で同じ土佐の出身で高知師範卒。
牧野博士が通ったこともある佐川小学校などで教員をするかたわら、牧野博士と交流をもち、若い頃から植物採集にうちこみます。
明治21年(1888年)8月3日、徳島県・海南学校の生徒だった18才の時に、石鎚山で後にキレンゲショウマとなる植物を発見しています。
しかし、キレンゲショウマの学名に吉永さんの名前は入りませんでした。
発見者は誰になったのか??キレンゲショウマ発見の経緯はこちらもご覧くださいね。
吉永虎馬さんは、ずっと高知県で後進の指導をし、他県から訪れる植物学者もサポートしました。昭和19年(1944年)に旧制高知高等学校教授に就任。
日本におけるコケ類研究発展のきっかけや手がかりを作った人としても知られています。
1871-1946 明治-昭和時代前期の植物学者。
明治4年7月15日生まれ。高知県内の小学校,中学校の教員をへて,昭和9年旧制高知高講師,19年教授。菌類,苔(たい)類の研究をすすめ,サカワヤスデゴケ,ミカンゴケなどを発見した。昭和21年2月22日死去。76歳。高知県出身。高知師範卒。著作に「植物雑録集」など。出典 デジタル版 日本人名大辞典+Plus
吉永虎馬さんが山元虎鉄少年のモデルのひとりとすると、納得がいきます!
虎鉄少年の虎は、虎馬さんの虎だったのです。
山元虎鉄:鉄の由来は植物学者の名前!
虎を「こ」と読んで「やまもとこ……」まできたら「こてつ」にしたくなっちゃったのかしら??と思っておりましたが、「鉄」の由来も見つかりました!
この文字を持つ人物を探していく……、だんだんおすえちゃんの好きな八犬伝ぽくなってきました笑。
鉄の字を持つのは、植物学者の小山鐵夫(こやまてつお)さん。牧野植物園名誉園長です。
小山鉄夫とも表記します。鉄は鐵の新字なんですね。
小山さんは昭和8年(1935年)東京生まれ。11才のときに、憧れの牧野博士に自分で描いた植物画を同封して手紙を書きます。
牧野博士は1862年生まれなので、その時すでに82才ぐらいですね。
牧野博士は植物画の添削もし、便箋2枚の余白にまで細かい字でびっしり返事を書きます。
小山さんに宛てた牧野博士からの手紙
“あなたは植物が好きと聞きうれしく思います”
“植物は実地の研究が一番大切です”出典:NHK高知
手紙を書いた当時、小山さんは岐阜県大垣市に住んでいました。戦争中の疎開でしょうか。
その後、中学にあがると小山さんは牧野博士の家に弟子として通うようになります。
70才以上離れた弟子に、牧野博士は植物画の書き方や、植物研究への心構え、植物分類学などの専門教育をしました。
小山さんは、東京大学理学部に進学。博士課程を経て、理学博士の学位を取得。専門は資源植物学、種子植物分類学、植物園学で、国際的な植物学者として活躍しました。
東京大学理学部卒。東京大学大学院生物系研究科博士課程修了。理学博士。東京大学理学部助手(文部教官)、カナダ農務省中央研究所研究員を経て、ニューヨーク市立大学大学院教授・ニューヨーク植物園首席研究官兼アジア部長、国際機関・アジア蔬菜研究発展センター理事などを歴任。現在は(財)高知県牧野記念財団専務理事、(財)日本生態系協会理事なども務める。専門は資源植物学、種子植物分類学、植物園学
出典:「BOOK著者紹介情報」
還暦を過ぎて、平成11年(1999年)から平成26年(2014年)まで高知県立牧野植物園の園長を勤めました。
2023年『らんまん』放送中の現在も、牧野博士の教えを伝えていらっしゃいます。
これで山本虎鉄の山・虎・鉄が揃いました!
もしかして、山元の「元」も実在モデルの人がいたりして!?
山元虎鉄:何歳?学歴は?中学生?小学生?
万太郎と山元少年が出会った時、山元少年は家業のお遍路宿を手伝っていました。
ドラマでは、大興奮で植物採集をしている万太郎の姿に、山元虎鉄少年は驚き、そして植物採集にだんだん興味を持っていく様子が描かれます。
肩から下げたドウランにも興味津々、万太郎との出会いで、この先の人生が開けていきそうな予感があります。
万太郎は格式ある酒蔵「峰屋」の跡取り息子でしたが、植物学の道へ進みました。
山元虎鉄も今は家業の遍路宿「角屋」を手伝っていますが、植物学かさらに別の道を歩み始める過程が描かれるかもしれません。
初登場時には学校には行っているのか、わかりませんでした。
8月11日の放送で、うれしそうに万太郎の手紙を読むシーンがあり、また返事も来た事から、読み書きも十分にできることが判明します。
万太郎がつぶやいた「ひとりじゃないき」という言葉通り、山元虎鉄少年は万太郎の仲間として、この先も万太郎の研究人生と大きくかかわっていきます。
その後、万太郎の元には続々と、山元虎鉄少年や高知の学校教師から標本が贈られてくるようになります。
あれから3年経過。
8/17放送分で、中学ではなく高等小学校に通っていることが判明します。
設定が1907年以降とすると、尋常小学校6年間を終えて、高等小学校2年間なので、山元少年は12歳から14歳ですね。
山元虎鉄:俳優は寺田心(てらだこころ)と濱田龍臣(はまだたつおみ)
山元虎鉄役を演じるのは、少年時代を寺田心(てらだこころ)さん、青年以降は濱田龍臣(はまだたつおみ)さんです。
お2人とも元・天才子役ですね。
今回のNHK朝ドラは、天才子役しばりでもあるのでしょうか。神木隆之介さん、寺田心さん、そして浜田龍臣さん。
あ、浜辺美波さんも子役出身ですよね。
寺田心(てらだこころ)さんは朝ドラ初出演。
まだまだ子役と思っていましたが、2008年生まれ。2023年放送の『らんまん』出演時は15歳です。声も低くなってましたね。
万太郎と山元虎鉄少年の出会いから10年。青年以降の山元虎鉄役は浜田龍臣(はまだたつおみ)さんに変わりました。
山元虎鉄は、妹に婿を取らせて家業の角屋を継がせて、万太郎の弟子になるために上京してきました。
台湾から帰って来た万太郎は、おどろきつつも助手として迎え入れます。
寺田心さん演じる虎鉄少年の身長は約160cmでした。10年後の山元虎鉄青年の身長は178cm。
いきなり身長178cmの虎鉄君が現れたら、万太郎も視聴者も「え、こてつくん??え、えぇーー??」ってなりますよね。
万太郎の弟子になるため、高知から虎鉄がやってきました!
それにしても、大きくなりましたねぇ…!✨#朝ドラらんまん#濱田龍臣 #寺田心 pic.twitter.com/BLDrhlFrh9
— 連続テレビ小説「らんまん」 (@asadora_nhk) August 30, 2023
まとめ♪山元虎鉄らんまんヤッコソウ発見者:モデルは誰?発見は史実?学名は?
ヤッコソウは日本植物界の名誉とも言われる大発見です。新種だけでなく新科を創設したという意味でもすごいのです。
ドラマではヤッコソウをまつわる話が面白いフィクションになっていますね。
記事のまとめです。
お遍路宿「角屋」の息子、山元虎鉄(やまもとこてつ)は架空の人物
牧野博士が新種ヤッコソウの発見の経緯は、高知植物採集旅行の最中ではない
史実では、高知県幡多郡の中学の教師、山本一先生が牧野博士に標本を送ったのがきっかけ
元は山本一先生が引率した中学生が、土佐清水市の加久見天満宮の境内で発見
学名をMitrastemon yamamotoi Makinoとつけ、新種として「植物学雑誌」で1911年に発表
新しい科を創設するという世紀の発見で、ヤッコソウ科(Mitrastemonaceae)ヤッコソウ属(Mitrastemon)ヤッコソウ(Mitrastemon yamamotoi Makino)となる
ドラマでは、発見者の少年の名前を学名に入れるために少年の名字を山元(yamamoto)に設定
山元虎鉄少年は高等小学校に通っている
山元虎鉄少年の虎は、明治-昭和時代前期の高知県出身の植物学者、吉永 虎馬(よしながとらま)にちなんでいる
吉永 虎馬はキレンゲショウマの第一発見者
山元虎鉄少年の鉄は、昭和から平成にかけての東京出身の植物学者、小山 鐵夫(こやまてつお)にちなんでいる
鉄は鐵の新字で、小山鉄夫と表記する場合もある
小山鉄夫は11才で牧野博士に弟子入り、その後、高知県立牧野植物園の園長をつとめた
少年期の山元虎鉄役は子役出身で朝ドラ初出演の寺田心(てらだこころ)
青年期の山元虎鉄役は同じく子役出身の浜田龍臣(はまだたつおみ)
番組で使用されているヤッコソウはレプリカ。レプリカ製造所やロケ地についてはこちらをごらんくださいね。
らんまん珍奇植物ヤッコソウはレプリカ!製作はドコ?標本はドコで見られる?朝ドラNHK連続テレビ小説
コメント
初めまして、楽しく読ませていただきました。
ところで、気になった所があります。
『新種として「植物学雑誌」で1911年に発表』とされていますが、1911年 → 1909年 では、ないでしょうか
牧野富太郎は「ヤッコソウ」を1909(明治42)年7月20日発行の植物学雑誌 23巻 270号 で発表しています。
「植物学雑誌」の原文は以下のサイトで公開されています。該当するのは325~327ページです。
https://www.jstage.jst.go.jp/article/jplantres1887/23/270/23_314/_pdf/-char/ja
ふゆいちご様
ご親切にコメントありがとうございます!
確かに明治24年1911年ですね。さっそく訂正いたします。
原著論文まで詳しく教えて下さり恐れ入ります。
論文の牧野博士の興奮が伝わってくるようです。
せっかく訂正していただいたのですが、
『・・・「植物学雑誌」で明治24年(1909年)に発表』
(1909年)は 明治42年 です。
あ!そうですよね〜重ね重ねありがとうございます。