らんまん寿恵子(すえこ)渋谷の待合茶屋は実話?関東大震災NHK朝ドラ

こんにちは~。らら子です。
朝ドラ『らんまん』も最終月の9月に入って物語も佳境。ヒロイン寿恵子(すえこ)さんの冒険ターンに入ってきました。

渋谷の待合茶屋(まちあいぢゃや)経営は実話なのか、万太郎がしきりに心配する寿恵子の健康状態はどうなのか?

ちょいちょい感じる死亡フラグも気になるところ……です。

こちらも合わせてご覧ください。

らんまんスエコザサ寿恵子の死因は?学名は?最終週は今後どうなる?万太郎は?関東大震災と東大泉




らんまん寿恵子(すえこ)渋谷の待合茶屋は実話「いまむら」

史実の牧野寿衛子(すえこ)さんが、渋谷で待合茶屋を営んでいたのは実話です。

場所は道玄坂上の円山町。当時は荒木山といいました。鍋島藩の家来の荒木氏にちなんでいます。

待合茶屋というのは、お客と芸者さんが待ち合わせて、しっぽりと食事をしたり共に時を過ごします。

要するにレンタルルームなので、用途は自由。

円山町は今もラブホテルがたくさんありますが、かつての待合茶屋もお布団が用意してあったとか。

お座敷で隣のふすまをガラッと開けると、枕がふたつ!というアレでしょうか。

史実の寿衛子さんは生活費を稼ぐために、駄菓子屋とか和菓子屋とか試しますが、思い切ってもっと稼げる待合茶屋を始めたといいます。

店の名前は実家の別姓で「いまむら」。もはや内助の功というレベルを超えています。

牧野富太郎自叙伝によると、3円の元手で家を買い、「素人ながら天才的な手腕」で一時期はかなり成功していました。

もっとも「大学の先生のくせに待合をやるとはけしからん」と、大学でバッシングされたり、世間でうわさになったりしたそうです。

しかし牧野家はどーんとかまえて気にしません。

寿衛子さんは別居して稼ぎましたが、質の悪い客が入り込み、長くは続きませんでした。





らんまん寿恵子(すえこ)待合茶屋は新しい印刷機資金?

ドラマでは、新しい印刷機の登場と新しい商売を夢想していた寿恵子さん。

槙野家に遊びに来た画工の野宮(のみや)さんから新型印刷機の話を聞くと、ピンとひらめきます。


文字は活版印刷、図版は新しい(オフセット)印刷機にすればいい!
そして資金は自分が商売で稼ぐ!

この時の話は、こちらもご覧ください。

らんまん野宮どうなる?モデル誰?NHK朝ドラ波多野との関係は?

生活苦からではなく、新しい印刷機と自分の挑戦という脚本がロマンですよね。

寿恵子さんは渋谷・道玄坂で待合茶屋をやることを決意します。

これは新橋の高級料亭「巳佐登(みさと)」の女将みえ叔母さんの案件です。

渋谷の奥に軍事訓練をする練兵場ができて、人が多く集まるようになるといいます。

軍隊=男の集団なので歓楽街のニーズがあるということですね。

商売的にはおいしいけど、高級料亭は手を出しにくいので寿恵子にやらせる、というこれまた上手い脚本の展開です。

下見に行くと、今住んでいる「十徳長屋(くさ長屋)」より貧乏くさい、場末(ばすえ)です!

代々木練兵場は明治末期の明治42年(1909年)できたばかりなので、こういう何もない描写なんですね。

史実の寿衛子さんが待合茶屋を始めたのは大正時代の半ば。すでに街はいかがわしく発展していたと思います(#^^#)

牧野家は、大正12年(1923年)の関東大震災を渋谷で体験しています。その時に「植物研究雑誌」第三巻第一号を全部焼いてしまったとあります。

ドラマでは、実際より若くてきれいな年頃で話が進んでいるんですね。

開業の決心を聞いた万太郎は、牡丹(ぼたん)の痣(あざ)と、光る玉が心の中で輝いていると、八犬伝オタクの寿恵子をはげまします。ええのう。




らんまん寿恵子(すえこ)渋谷を取材!井上順も登場!待合茶屋「山桃(やまもも)」

ドラマの寿恵子さんは、渋谷・荒木山(円山町)を歩いて観察し、客層や名産品の取材を始めます。

まずは、代々木練兵場の行き帰りの兵隊たち。代々木練兵場というのは今の代々木公園、代々木競技場、NHK放送センターあたりも含む広い土地です。

地元のNHKも力が入っているでしょう。

それから大山詣り(おおやままいり)で大山街道を行き来する旅人たち。

大山詣りというのは、神奈川県伊勢原市の大山にある雨降山大山寺に参拝すること。行楽を兼ねたお詣りですね。

大山街道は、今の国道246号線とほぼ同じルートです。

井の頭線で渋谷の次の駅名にもなっている神泉(しんせん)には、こんこんと湧き出る泉があり、泉の水を温めた弘法湯(こうぼうのゆ)が旅人の疲れをいやしていました。

弘法湯の利権者・佐藤弘役は、渋谷生まれ渋谷育ちの井上順さん。

井上順さんのおじいさまは、代々木練兵場すぐ前の富ヶ谷で「井上馬場」を経営。競走馬を初めて日本に輸入した方です。

まさにドラマにうってつけのキャスティングですね。

ドラマの寿恵子さんは、渋谷でゆかいな人たちと、たくさんの美味しい食べ物に出会います。

十徳長屋の差配人・おりんさん(安藤玉恵)のアドバイスもあり、妄想がひろがった寿恵子さん。待合茶屋を開く決心をしました。

店の名は万太郎から贈られた山桃(やまもも)の木から命名。




らんまん寿恵子(すえこ)渋谷の芸者・葉月は元タカラジェンヌ!

待合茶屋を開くあいさつに、寿恵子は弘法の湯の利権者・佐藤弘ら、地元で知り合った人たちを食事会に招き、妄想(=町の事業計画)を話します。

「巳佐登(みさと)」の旦那が言っていた、人々を結び付ける場にするようです。

初めは「なんだこいつ?」と思っていた彼らも、寿恵子の妄想に乗り気になっていきます。

招かれたのは、お向かいの居酒屋の飲んだくれの荒谷佐太郎さん。たぶん「荒谷」って荒木山と渋谷から来たネーミングでしょうね(笑)

演じるのは、大河ドラマ『鎌倉殿の13人』で注目された芹澤興人(せりざわたてと)さんです。

民宿の男衆、そして柳橋から渋谷に流れてきた芸者の2人組、とよ香(とよか)と葉月(はづき)

とよ香を演じるのは入山法子(いりやま のりこ)さん。「和装準一級」取得者だそうで、着物がお似合い。

葉月を演じるのは、元・タカラジェンヌの実咲凛音(みさきりおん)さんです。

実咲凛音さんは歌・芝居・ダンスともすぐれた娘役で、愛称は「みりおん」。

宙組トップスターの朝夏まなと(あさかまなと)さんと凰稀かなめさんの相手役をつとめました。

同期は、元・月組トップスターは愛希れいか(まなきれいか)さんや、現在の花組、月組、星組のトップスターやスターぞろいの95期なんですよ(#^^#)

「巳佐登(みさと)」の常連客・相島圭一(森岡龍)さんが「通だけが知る店」と、連れてきたお客が小林一三(海宝直人)さん。

史実の小林一三さんは鉄道王で、宝塚歌劇団を創立した方です。

小林一三氏のモデルや渋谷との関わりについては、詳しくはこちらもごらんくださいね。

らんまん相島圭一と小林一三は鉄道王!実在モデルは誰?はNHK朝ドラ




らんまん寿恵子(すえこ)相島圭一・早川逸馬・永守徹との出会い

寿恵子のおもてなしの工夫で、待合茶屋やまももは大成功。仲居は「巳佐登(みさと)」からフミ(那須凛)に来てもらいました。

お向かいの居酒屋・荒谷の佐太郎は元は腕のいい料理人で、オーダーすればなんでも作れます。

雑用は、弘法湯の佐藤から若い衆(武井壮)も借りて、渋谷中から美味しい食材を調達。

街づくりの様子はあまり描かれませんでしたが、やまももを中心に、寿恵子と万太郎の人生は大きく動いていきます。

やまももの上客になった相島圭一(あいじまけいいち)は、鉄道事業を中心に渋谷を開発していきます。

相島は、神戸の資産家、永守徹(ながもりとおる)出資してもらうために、代理人の早川逸馬(はやかわいつま)を、やまももで接待。

寿恵子は、義姉の綾夫婦に作らせた土佐料理でもてなし、「雑草という名の草はない」という万太郎の言葉を早川逸馬に伝えます。

それがきっかけで、早川逸馬と万太郎が再会し、永守家がスポンサーとなって万太郎の寿恵子の図鑑への夢がかなっていきます。

相島の渋谷開発についてはこちらをどうぞ。

鉄道王相島圭一は!実在モデルは?渋谷は実話?小林一三との関係は?朝ドラNHK

若き日の早川逸馬と万太郎の出会いについてはこちらをどうぞ

早川逸馬(はやかわいつま)実在モデルは?らんまん朝ドラ再登場!死因は?植木枝盛?板垣退助?歴史上どんな人?

永守家のモデルとその後についてはこちらをどうぞ

らんまん永守徹(ながもりとおる)モデルは?神戸の永守家とは実話?今後どうなる?早川逸馬との関係は?NHK朝ドラ




らんまん寿恵子(すえこ)関東大震災と渋谷、甘粕事件

やまももは開業から順調に数年が経過し、大正12年に関東大震災がおきます。

ドラマでは、万太郎たちは根津の十徳長屋で震災にあって、命からがら渋谷まで避難してきます。

史実では、牧野博士たちは渋谷で震災を経験しています。牧野博士は屋内にいて科学者らしく、震災を観察していたといいます。

待合茶屋は悪いお客がついたため貸倒れになって閉店しました。

ドラマでは、震災後の都会からの人口流入で渋谷が大きく発展し、とまどう寿恵子。

一方、渋谷の開発に取り組んできた相島は、不謹慎だが我々の勝利だとさらに野望を燃やしています。

次男の大喜(木村風喜)は、渋谷憲兵隊の大尉が起こした事件を寿恵子に伝え、もう昔ののどかな渋谷ではなくなったといいます。

これは甘粕事件が題材ですね。史実では東京憲兵隊麹町(こうじまち)分隊長甘粕正彦(まさひこ)大尉が起こした事件です。

大正12年(1923)関東大震災の直後、憲兵大尉甘粕正彦らが、無政府主義者大杉栄・伊藤野枝夫妻と甥おいの橘宗一を、憲兵隊司令部で殺した事件。

出典:デジタル大辞泉

土佐の自由民権運動をはじめ、権力への抵抗、甘粕事件の言及など、脚本家の民主主義を大事にする視点が、作品を通して常に感じられますね。




らんまん寿恵子(すえこ)待合茶屋やまもも売却

史実では、牧野家は大正15年(1926年)に、練馬区東大泉に引っ越します。

当時の大泉は畑と雑木林しかないのどかな田舎です。

標本を火災その他からまもるための寿衛子夫人の判断でした。

ドラマでも、このままでは標本も守り切れないと浮かない表情の寿恵子。

万太郎に向かってどうして夢を信じてがんばれるかと質問するぐらい、ぐっと老け込んですっかりお疲れの様子です。

寿恵子は、渋谷にいては万太郎と自分の夢がかなえられないと焦ります。郊外への移住を決意。

その資金のために相島とフミを招き、「やまもも」の売却を相島にもちかけます。

「街づくりの盟友」相島圭一は即決で「やまもも」を5万円で買い取ります。

ノジギクが300円でお買い上げされたときに300円は今の300万円と換算したのですが、

とすると、5万円は5億円?

東大泉に引っ越してからはこちらもご覧ください。

らんまんスエコザサ寿恵子の死因は?学名は?最終週は今後どうなる?万太郎は?関東大震災と東大泉




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