石川佳純さんファミリーヒストリーあらすじと結末「石川佳純 勝負師の心と明るさを受け継いで」

今回は、「ファミリーヒストリー 石川佳純 勝負師の心と明るさを受け継いで」をご紹介します。

ロンドン、リオデジャネイロ、東京と三大会連続メダルを獲得した石川佳純さん、日本女子卓球界の礎を築きました。

令和5年5月に現役に引退、その後、全国を巡り、子どもたちに卓球の魅力を伝えています。

真剣勝負にいどむ姿と明るい人柄で多くの人を魅了している石川佳純さんのファミリーヒストリーを見ていきましょう。

https://twitter.com/nhk_Yamaguchi/status/1759782426203521298




石川佳純さんファミリーヒストリー

初回放送日: 2024年2月23日

卓球のオリンピックメダリスト・石川佳純さん。母方は福岡の武士の家系で、大河ドラマにもなった黒田官兵衛に忠義を尽くした家臣。祖父は柔道の達人だった。一方、父方の先祖は島根で、娘の死や災害、難病など数々の苦難を「天性の明るさ」で乗り越えてきた。父・公久のもつ「苦難に負けない明るさ」、母・久美のもつ「類いまれな勝負師の強さ」、それぞれの長所を受け継いだ娘・佳純は卓球の道を極め、世界の舞台で輝いた。

NHK公式サイトより掲載

収録当日は、楽しみだと語ってくれた石川佳純さん、石川さんのご家族は、父・公久(きみひさ)さん、母・久美さん、妹・梨良(りら)さんの4人家族です。

まずは、山口県山口市の実家に向かいます。公久さんは、現在、福岡へ単身赴任中で、母の久美さんが迎えてくださいました。

久美さんは、国体に3回出場した元卓球選手です。自宅で卓球教室を開いています。





石川佳純さんファミリーヒストリー:母方 小川家のルーツは戦国武将

母・久美さんの旧姓は、「小川」です。

久美さんは、先祖が旗を背負った絵をみたことがあるそうです。小川家の家系図をみせていただくと戦国武将「黒田官兵衛」の名がありました。

小川家と黒田官兵衛との関わりを求めて福岡県朝倉市の秋月博物館へ訪れました。

黒田家の家臣について記されている「秋府諸士系譜」には、小川家は、官兵衛の父の代から仕えていた家来だとわかりました。

そして、数々の戦を経験して関ケ原の戦いにも参加したことがわかっています。小川家は、弓や鉄砲が上手く武勇に優れていました。

大河ドラマ「軍師官兵衛」では、12人の武将が、黒田家に生涯の忠義を誓う「黒田氏家臣連署起請文」のエピソードが描かれています。

その中のひとりが小川家のご先祖さま、小川与三左衛門という人物だそうです。

その後、与三左衛門は、官兵衛の孫・長興が起こした秋月藩の重臣になりました。

久美さんが語っていた先祖の旗の絵は、島原の乱でろう城する天草四郎をとらえる場面を描いた屏風。

旗を背負ったご先祖さま、小川左近右衛門の姿が描かれています。




石川佳純さんファミリーヒストリー:武道の達人 祖父・末弘

時代は流れ、明治27年、小川家の次男・虎五郎が生まれました。佳純の曽祖父です。武士の血を引き継ぎ堂々とした雰囲気の人だったそうです。

数百人の従業員をかかえる紡績会社の工場長でしたが、世界恐慌後、当時の栄養源である牛乳の供給が少ないことからヤギ乳を扱うヤギ牧場を開きました。

虎五郎の四男で佳純の祖父・末弘も幼い頃から牧場を手伝いました。

小学生になると末弘は、柔道で体をきたえようと、江戸時代から武士の子弟が武術を学ぶ道場「隻流館(せきりゅうかん)」の門をたたきました。

厳しい稽古で知られ、子どもの入門は認められていませんでしたが土下座をして入門を認めてもらったそうです。

戦後は、ヤギ牧場の担い手となりながらも柔道を極めました。

隻流館の伝統の千本取りの達成や全国柔道大会団体戦で準優勝をおさめましたが家族に自慢をすることはありませんでした。

小川家は、昭和30年頃よりヤギ乳から牛乳の製造販売に切りかわりました。末弘さんは、朝3時に起きて一人で牛乳配達をした後、仕事に向かいました。

牛乳配達は、休むことも遅れることもなく続けたそうです。

末弘は昭和33年に結婚、昭和38年に佳純さんの母・久美が誕生します。




石川佳純さんファミリーヒストリー:父方 石川家のルーツ 亡き娘をしのぶ菩提寺

父方、石川家のルーツは島根県にあります。父・公久さんの実家を訪ねました。佳純さんの祖母・喬子さんと伯母の恵子さんが石川家の記録を見せてくださいました。

先祖の中で欠かせない人物が11代前の先祖・勘左衛門です。江戸時代中頃、石川家の菩提寺大満寺を建てた人物です。

佳純さんも父方の墓参り行くと、昔話に出てくる話があると聞いたことがあります。早速、石川家の菩提寺のある島根県大田市へむかいました。

寺の歴史に詳しい郷土史家の橋田良文さんに話を聞くと石見銀山の歴史について書かれている『新石見銀山物語』に石川家の記述があるそうです。

石見銀山の役人をしていた勘左衛門の娘が美しいことを代官が知り、奥御殿に推挙したものの娘には恋人がいて、はなればなれになることを憂い、命を絶ってしまいました。

そのことを勘左衛門は、深く悲しみ、娘を供養するため大満寺を建てたという話です。

現在、大満寺は住職のいない寺ですが、勘左衛門が娘の三回忌に作ったとされる阿弥陀如来が近くの寺に残されていました。

石川家の菩提寺には娘を思う父の物語が語り継がれていました。




石川佳純さんファミリーヒストリー:祖父・四郎 逆境にも打ち勝つ天性の明るさ

勘左衛門から150年の月日がたち明治時代、佳純さんの高祖父石川善五郎は、画家を志して上京、東京・浅草に居をかまえました。

決して生活は楽ではありませんでしたが、模写などを売りながら国の展覧会にも作品を出品していました。

昭和18年、善五郎の次男・晋が生まれます。晋は、昭和39年、のりや茶の缶を作る製缶業の町工場を立ちあげました。

注文が多く工場はうまくいっていましたが、大正12年、関東大震災で工場は被災してほとんどの財産を失い松江の親戚に身を寄せました。

その後の生活は一変しました。晋が悪性のリュウマチになり家賃が払えず、食うか食わずの生活が続きます。そんな中、家族を勇気づけたのが佳純の祖父にあたる晋の四男・四郎でした。

天性の明るい性格で誰とでも仲良くなれる人物でした。昭和天皇の戦後巡幸には、大八車に父・晋を乗せて案内をしたそうです。

四郎は高校卒業後、広告代理店に勤め営業マンになりました。人懐っこい性格で多くの契約を取り、会社の売上は四郎でもってるといっていいほどでした。

昭和38年、四郎は結婚して佳純さんの父、長男・公久が誕生します。公久は、笑いの絶えない家庭で愛情をいっぱい受けて育ちました。

体を動かすことが好きでリーダーシップを発揮するクラスの人気者でした。

卓球を始めて1年、松江市小学校卓球大会で優勝、中学・高校と卓球をして高校ではキャプテンをつとめました。

大学進学後は、九州で強豪の卓球部がある福岡大学へ進学、佳純さんの母、久美と運命の出会いをします。




石川佳純さんファミリーヒストリー:一本気な母・久美と楽観的な父・公久の出会い

佳純の母・久美さんは、父・末弘さんから優れた身体能力と一本気の気質を受け継ぎます。根性があり負けん気が強くマラソン大会では1番でした。

母・圭子さんによると、正月に親せきの男の子たちと相撲をしても久美さんが強かったそうです。久美は、中学に入り卓球部に所属します。

毎日、部活が終わるとバスで1時間かけて卓球スクールへ行っていました。

学校を病欠している時も部活には参加するようなことがあり、卓球場に入ると勝負師の顔つきになっていたと学生時代の友人は語っています。

練習の甲斐あって久美は、高校2年、3年とインターハイに出場、スポーツ推薦で福岡大学へ入学しました。

大学の卓球部では、夫の公久さんと出会います。入部早々、公久さんは、歓迎合宿で替え歌をうたって、みんなの笑いを誘いました。

楽観的な性格で何とかなるさという考えの公久さんと負けず嫌いの久美さんは、自然な流れで交際がはじまります。

大学卒業後、公久さんは父・四郎にあこがれて広告代理店に勤務、久美さんは実業団チームで卓球を続けて全国大会でベスト8の成績を収めました。




石川佳純さんファミリーヒストリー:公久と久美の結婚 佳純誕生

平成元年、公久と久美は結婚をします。

二人が出会って8年が経っていました。山口市で新生活が始まりました。

平成5年、長女の佳純さんが誕生、賢く純粋に育つよう「佳純」と名付けられました。小学1年の佳純は、母が練習しているのをみて「ママ、私も打たせて」と初めて言いました。

母・久美は、佳純からの言葉を待っていたのです。

人から言われて始めると甘えや逃げ道を作ってしまうと思ったからです。佳純は、練習を初めて3ヶ月、県大会8歳以下の部で準優勝を果たします。

父・公久も、練習をしているときに入らない球が入る佳純は、天性の卓球センスを持っているのではと思ったそうです。

公久と久美は、40畳の卓球場を併設した自宅を建てる一大決心をしました。

佳純は厳しい練習に根をあげることなく、努力を重ね全日本選手権大会小学生の部で優勝、家族で優勝を勝ち取ったのでした。




石川佳純さんファミリーヒストリー:佳純 夢の舞台へ

佳純さんが出場する大会には、心強い応援団がいました。

父方の祖父母・石川四郎さん、喬子さんと母方の祖父母・小川末弘さん、圭子さんです。佳純の活躍を楽しみに全国どこへでも行きました。

佳純にとって初めてのロンドンオリンピックは、団体で銀メダルを獲得しました。しかし、父方の祖父・四郎さんは、ガンを患い松江の病院に入院していました。

家族から試合の結果を毎日聞き、病院で嬉しそうに話していたそうです。佳純は、ロンドンから帰国するとすぐに銀メダルを持って四郎さんのお見舞いに訪れました。

ロンドンで買ったエンジ色のセーターをプレゼントすると、四郎さんには、一番のお気に入りの服になりました。友人にも自慢をしていたそうです。

平成27年(2015年)、四郎さんは亡くなります。

お気に入りのセーターは棺に入れられ四郎と共に旅立ちました。

佳純さんは、なんとなくはじめた卓球が23年も夢中になったのは、先祖たちのルーツがあったからで、負けん気も受け継いでいると思っています。

父方の逆境に負けない明るさと、母方の負けん気が、今の石川佳純を育んでくれました。引退後の活躍も期待されます。