オペラ紅天女:結末ネタバレあり感想:ガラスの仮面(ガラかめ)作中劇のスーパーオペラ歌劇は新古典になるか?(くれないてんにょ)

こんにちは~らら子です。

スーパーオペラ歌劇「紅天女(くれないてんにょ)」観てきました!

作中劇の『紅天女』の結末がついに明かされる!という話題もあり、『ガラスの仮面(ガラかめ)』の世界観がどう生かされているのか、楽しみにしていきました。

結論から言うと、『ガラスの仮面』とは一切関係ない独立したお話でした。言い方を変えれば『ガラかめ』を知らなくても楽しめます。

だったらこんなポスターにしなきゃよいのにと思いましたが、まあ話題性としてはしかたないんでしょうね。

このポスターにおかげで、少女漫画に興味のない層は「なんだ、少女漫画かー」と敬遠してしまうかもしれないと思いました。

とはいえストーリーは極めて少女漫画的ではありますが。以下、ネタバレを含む感想。





紅天女:あらすじ(ネタバレ):一真(いっしん)登場

時は南北朝の時代。天変地異と戦乱で人々は混乱している。

北朝の帝の夢に夜な夜な紅天女が現れ、自分の姿を像に彫れば平安が訪れると告げる。
(チラシには南朝って書いてあるけど話の流れからすると北のような気が)

仏師を探し出すように帝の命令を受けた照房(てるふさ)は、骸(なきがら)に添えられている仏とそこに記された「真」の文字を頼りに仏師を探し当てる。

なぜ仏を彫るのか仏師から理由を聞いた照房は感銘を受け、「一真(いっしん)」と名のって天女像を彫るようにいう。

天女など彫れる気がしない一真はしぶしぶ彫り始める。そこへ、旅姿の僧が現れて「千年の梅の樹で天女の像を彫れ」と告げる。

もし彫れなかったらそのまま逃げようと思いついた一真は、梅の樹を探しにいくことを決心。

一真は、途中で盗賊の一味に襲われる。頭領と言葉を交わす中で、やがて仏像を彫るという天命も自覚する。





紅天女:あらすじ(ネタバレ):阿古夜(あこや)登場

大神(おおがみ)の形代(かたしろ)として神通力を持つ美しい娘、阿古夜(あこや)登場。薬草を摘んでいる姿をデレデレ見つめる一真。

梅の木を探しているうちに谷底に落ちて一真は記憶喪失!(テッパン!)助けた阿古夜と恋仲に(テッパン!)という説明っぽい歌が美しくデュエットされます。

注)設定がテッパン過ぎるので思わず「テッパン!テッパン!」書いちゃいましたが、別にそういう合いの手が入るわけではありません。

恋に夢中になる阿古夜は神通力がどんどん衰えていく。それを心配する村の長老たちは二人を引き裂こうとする。

村の領主は争いを避けるべきという考えの持ち主。

しかし、三種の神器を盗み出そうと忍び込んだ賊を、血気にはやる領主の息子が斬ってしまう。

血が流れた以上、もはや争いは避けられない。

やがて戦がはじまる。

あまりの愚かしさに大神は怒り、人々を滅ぼそうとする。





紅天女:あらすじ(ネタバレ):結末!

阿古夜は自然への惧れ、争う人間の愚かしさをとうとうと歌い上げる。

一方、記憶を取り戻し、仏像を彫る天命を思い出した一真。

斧を片手に「千年の梅の樹」に向かう。

大神が宿る梅の樹が倒されれば、形代である阿古夜の命もなくなる。

悩む一真と阿古夜。

仏が宿る一真と神が宿る阿古夜は、一真の中でともにひとつの魂として生きていく道を選ぶ。

一真は梅の樹に斧をむけるのであった。

……。

やがて混乱は収まり、帝は照房に仏師の行方を問う。

照房は「無理に探さなくても……。」といいつつ、近頃、各地で目撃されている仏師の話を語って聞かせるのだった。





「紅天女」感想:贅沢な舞台装置:ガラかめのおかげで製作費は潤沢なのか

とにかく贅沢。本モノにこだわって、人も装置もお金かかってる感じ。
千年の梅が咲き誇るシーンなんてほんとキレイです。

https://twitter.com/JOF_opera/status/1215961382450909185

緞帳ではなくて柄のついた紗幕が効果的に使われていて、照明の色によって戦乱の炎に見えたり咲き誇る花に見えたり。

幕が上がると、両側の鉄骨のやぐらが前衛ぽさを演出しています。
鉄骨は場面転換ごとに変わっていたけど、あまり生かされていなかったかも。

あと、場面転換がちょこまかしすぎていたかなぁ。

暗転している時間が長かったので目立ったのかもしれませんが、やたらと暗闇の中で待っていた記憶があります。





「紅天女」感想:本物志向の豪華出演陣による超大作

[日本オペラ協会公演]と銘打った本公演。三時間以上かかる超大作です。

ソリストはオーディションで選ばれ、合唱は日本オペラ協会。
オーケストラは東京フィルハーモニー、作曲はミュージカルや映画音楽で定評のある人気作曲家の寺嶋民哉氏。

どの曲も楽器総動員の力作ぞろいです。

人気作曲家といえども、上手いフルオーケストラありきで作曲する機会はなかなかないでしょうし、力が入っています。

フルオーケストラに、合唱団もたくさんいるので音楽は分厚くなり、作曲者冥利につきるだろうなと感じました。

二十五弦筝という大きな琴がオーケストラに入っていたのですが、輝くような音色でした。

響き渡る石笛の音(横澤和也氏)。

振り付けは人間国宝の梅若 実 玄祥(うめわか・みのる・げんしょう)氏。2006年の初演以来毎年のように紅天女役を演じているそうです。

狂言回し役でカラス天狗も登場します。狂言回しについてはまたのちほど。




「紅天女」感想:素朴なギモン。オペラである必要があったのか??

ところで、ここまで本物志向で贅沢な出演者なのですが、ここでなぜオペラである必要があったのかという疑問もわいてきました。

指揮者の園田隆一郎さんがTwitterで呟いていましたが、阿古夜の歌など原作のセリフがほぼそのまま使われているそうです。

あのセリフが実際に歌われるって、原作というか「ガラかめ」ファンにはたまらないだろうなーと思います。

でも、これをいちいち節をつけて歌うとその分だけ時間がかかります。

たとえばセリフを言うなら「私は」で済むところが、オペラ的な歌になると「わーーたーーしーーはーーーー」のように一言ひとことが長くなるのは自明。

美内先生もオペラ化にあたっての記者会見で、漫画そのままではなくところどころ言葉を変えたと語ってらっしゃいました。

全篇オペラで歌いっぱなしだと、そりゃ3時間超えるよと思いました。





「紅天女」感想:素朴なギモン。息の詰まる重厚なオペラ。求むコミックリリーフ。

オペラ『紅天女』。舞台上でお話の展開を助ける狂言回し役は、文字通り狂言役者が登場。

狂言回しがもっと軽妙な軽い場面だったらよかったなと感じました。せっかく狂言の演出だし。

たとえば、『魔笛』のパパゲーノ&パパゲーナとか、『トゥーランドット』のピン・ポン・パンとか、笑いをとる登場人物の場面があったら、悲劇的な場面も際立ったと思うのです。

全篇が真面目なのでちょっと息苦しかったです。

音楽もすばらしいし、出演者も上手い人ばかりでがんばってるけど冗長に感じられてしまうのが、実にもったいない。

本物にこだわった高いクオリティの狂言も石笛も歌も全部長い。

大掛かりな舞台装置なので暗転にも時間がかかります。

暗転している間、石笛がびょうびょうと鳴っていることが多いのですが、何度も出てくると正直ありがたみが薄れていきました。




「紅天女」感想:素朴なギモン。いっそミュージカルじゃダメだったのか?日本のオペラを代表する新古典となるか?

作曲家の寺嶋民哉さんは、宝塚歌劇『エルアルコン鷹』でも数々の名曲を生み出している方です。

何度も言いますが、『紅天女』でも劇中に流れてくる音楽はどれも素敵。

オーケストレーションもばっちり。歌手のみなさまも実力派ぞろいなのです。

でも、寺嶋さんの作風はオペラよりミュージカルの方がよかったのでは?と思ってしまいました。

たとえば、『レ・ミゼラブル』とか『オペラ座の怪人』とかのように、オペラティック・ミュージカルというような分野で、寺嶋さんのメロディーはもっと生きるように思いました。

でも、目指すところはオペラなんですよねぇ。

この先、再演をかさねて『紅天女』が日本のオペラを代表する新古典となり得るのか??楽しみに今後の行末を見守って行きたいと思います。





オペラ紅天女:新作能・紅天女について。

新作オペラに古典風味を添えているのが、能楽のイメージです。

今回のオペラ化にあたっても、人間国宝の能楽師、梅若 実 玄祥(うめわか・みのる・げんしょう)氏が振り付けをしています。

実は、紅天女は新作能として2006年2月に東京・千駄ヶ谷にある国立能楽堂において初演されています。国立能楽堂委嘱作品なんですね。

美内すずえオフィシャルサイトにある記録を見ると、脚本は宝塚歌劇団の名演出家である植田紳爾(うえだ・しんじ)氏で、演出・能本補綴は梅若六郎(うめわか・ろくろう)氏、つまり現在の梅若 実 玄祥氏です。

新作能として一足先に能舞台化されている紅天女については書籍化もされています。

ご興味があったらそちらとの比較も面白いのではないでしょうか。





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コメント

  1. あび より:

    歌劇「紅天女」1/12日公演を観劇しました。
    私は40年来のガラスの仮面ファンで、オペラは初観劇でした。「幻の名作『紅天女』」を実際に観られた、体感出来た喜びはこの上なく幸せで感動致しました。

    ただ、単純に作品として観た場合、概ねらら様と同じく全体的に冗長な印象でした。
    石笛も途中から「またか」「まだか」と、、、。
    勿論、楽曲は全て素晴らしく、キャストの方の歌唱、とくに紅天女/阿古夜は本当に素晴らしかったです。 しかしオペラとはいえ、一部は台詞芝居にしても良かったのではと思います。今回敢えて「スーパーオペラ」を銘打っていたのだから、多少はオペラのセオリーをはみ出しても許されたのではないでしょうか。
    原作ではまだ描かれていないクライマックス、紅天女と一真の対決からラストシーンまでも、素晴らしいと感じる一方で、衣装替え(もはや早替りではなかった)の白布の時間がいくらなんでも長すぎます。それ故に白布自体を眺める間に(なんでこんな安っぽいマジックのような光る布を使ったのだろう、、むしろ綿の白布の方が神聖さが保たれたのでは)などとまで考えてしまいました、、、折角の緊張感が台無しです。

    原作ファンにとってのこの作品は特別なものとなりましたが、新作オペラとしてのオペラファンの方の評価がどういったものになるのかが気になります。

  2. らら子 より:

    あび様
    コメントありがとうございます。そうそう、そうなんです。最高のキャストと音楽を集めても最高の舞台にはならないというか、調和って難しいと思いました。
    鑑賞中も、ふと、これが月影先生がこだわった『紅天女』なのかな??という疑問が湧いてきてしまいました。

    白い布のシーン、長かったですよね。クライマックスのころはちょっと疲れちゃって麻痺してましたが(笑)それだけに出演者の、特に阿古夜の集中力は大変なものだと思いました。

    オペラの人たちは場面転換に慣れていない感じもしましたね。
    宝塚歌劇などはセットも大掛かりで場面転換も多いので、出演者は猛ダッシュで舞台からはけるんですけど、そういうこともなさそう。
    『ガラスの仮面』の作中劇ではなく、単体の『紅天女』として鑑賞に耐えうるコンテンツだと思うのですがー。

  3. tomokie より:

    らら子さま、
    私は昨日の千秋楽に拝見しました。
    私も最後の白布の着替えが遅すぎると思っていました。場面展開も間が空いていましたね。全体的に間延びしているというか…。

    宝塚はあまり観ていないのですが、ミュージカルを観る事の多い私なので、今度はミュージカルで観てみたいなと思いました。

    でも美内先生オリジナルの作中劇でありながら、話の構成・プロット等は十分過ぎる位素晴らしく思いました。
    梅の樹が本当に漫画で描かれていた通りに見事で、感動致しました。

    音楽・衣装も素晴らしかったと思います。
    振付?かな?仁王立ちで立ちっ放しのような事が何度かあったので、度々「今、何の時間?」となってしまいましたが。

    この作品が日本発の新たなスタンダードになってくれる事を祈っています。色々言いましたが、漫画の実写化?にかなり満足しています。

    • らら子 より:

      tomokieさま
      コメントありがとうございます。
      そうですよね、私も「おおーこれが紅天女か!」という思いは上演中ひたひたと寄ってきました。脚本と音楽ともに「作中劇」の枠を超えてますよね。素晴らしい。後から思い出すと歌詞も聞き取りやすかったなと思います。
      メロディラインがミュージカルぽいので、私もいちどミュージカル(か、宝塚)で観てみたいです。宝塚、ハマると思うんですよね。少女漫画と親和性が高いし^^
      お話は今の世の中にも合っているので、ミュージカルでもオペラでもいろんな形態で上演を重ねて、この先どんどんこなれて行ってほしいなと思います。