野澤錦糸(のざわ きんし)さん のWiki的プロフ:名人・住大夫(すみたゆう)さんをささえた理知的で風格のある文楽三味線

こんにちは~。 らら子です。

今回は、文楽三味線の野澤錦糸(のざわ きんし)さんをご紹介します。錦糸さんは今の文楽をせおう中堅。人間国宝の七代目・竹本住大夫さんが引退するまで19年間コンビを組み続けました。

新聞やテレビのインタビューなどでもおなじみなので、ご存知の方も多いのではないでしょうか?どんな方なのでしょうか?さっそくプロフィールを見ていきます。





野澤錦糸さんのプロフィール、年齢や出身、芸歴は?

こちらが錦糸さんのプロフィールです。

誕生日:昭和32(1957)年6月11日
出身地:東京都
本 名:高次郁

[芸 歴]

  • 昭和51(1976)年 5月 国立劇場文楽第3期研修生となる
    昭和53(1978)年 4月 四代目・野澤錦糸(のざわ きんし)に入門

    • 野澤錦彌(のざわ きんや)と名のる
    • 昭和53(1978)年 5月 東京公演「生写朝顔話・大序」で初舞台
  • 平成元(1989)年11月 五代目・鶴澤燕三(つるざわ えんざ)の預りとなる
  • 平成8(1996)年1月より七代目・竹本住大夫(たけもと すみたゆう)の三味線を勤める
    • 平成26(2014)年の住大夫引退まで
  • 平成10(1998)年 4月 五代目・錦糸を襲名

錦糸さんは、東京生まれ。高校を卒業後、昭和51(1976)年5月、国立劇場・文楽協会文楽養成第3期研修生となります。

研修所を修了して昭和53(1978)年4月、四代目・錦糸(のざわ きんし)さんに入門して、翌月、野澤錦彌と名のり初舞台。

四代目・錦糸さんが亡くなり、平成元(1989)年11月、先代の 鶴澤燕三の門下となります。

平成8(1996)年1月より平成26(2014)年まで、19年間人間国宝の七代目・竹本住大夫(たけもと すみたゆう)の三味線を勤めます。

平成10(1998)年4月、五代目・野澤錦糸を襲名しました。

お弟子さんは野澤錦吾さんです。




野澤錦糸さんの輝かしい受賞歴。研修生出身で初の大名跡を襲名!

文楽の世界は、世襲制ではなく実力本位です。

文楽に入門するには、つてを頼って、直接お師匠さんに入門して研究生になる場合と、文楽劇場の養成所に入学して2年間の研修を受ける場合があります。

詳しくはこちらもご覧くださいね。
技芸員とは?読みや意味をわかりやすく解説:技芸員になるには?

実力本位の世界とはいえ、「野澤錦糸」という大名跡を継ぐのは、初の快挙だそうです。

その実力を裏付けるように、野澤錦糸さんの受賞歴は、ごく若い頃からとても多いのです!!

主なものだけでも、

昭和60(1985)年大阪文化祭賞奨励賞、文楽協会賞を皮切りに、
平成3(1991)年府民劇場賞奨励賞、松尾芸能賞奨励賞、
平成6(1994)年咲くやこの花賞、
平成10(1998)年 平成9年度(第48回)芸術選奨文部大臣新人賞[古典芸術]、
平成17(2006)年 大阪舞台芸術賞、
平成23(2011)年芸術選奨文部科学大臣賞 平成22年度(第67回)日本芸術院賞、
平成25(2013)年 4月 紫綬褒章(春の褒章)。

他に、国立劇場文楽賞、文楽協会賞、因協会奨励賞など、まさに、総ナメという感じです。受賞の詳細を知りたい方は文楽協会のオフィシャルサイトをご覧くださいね^^




野澤錦糸さんの師弟愛

錦糸さんは初めに入門した四代目・錦糸さんが1988年に亡くなると、五代目・燕三さんの預かり弟子となります。

預かり弟子というのは、一般的に、ある師匠に何かあって弟子の面倒を見られなくなった時に、その弟子は別の師匠の門下で修行を続けることをいいます。

ある時、演奏後に舞台をおりるなり師匠の五代目・燕三さんに頭を折り畳み傘で殴られたというのは、よく知られたエピソードです。

今では考えられないですが、その当時の修業の雰囲気が伝わってきます。その件について、錦糸さんはインタビューで語っています。

自分で分かった。どこか慢心していて、それが演奏に出ていたのだと思う。師匠は天狗(てんぐ)の鼻をへし折ってくださった。あれ以来、慢心した演奏は絶対しない。

出典:産経WEST 2013.1.30 付

その後、錦糸さんは五代目・燕三さんの元で修行を続けますが、ある時、舞台上で五代目・燕三さんが倒れます。

その時にとっさに代役を務めたのが、舞台裏で師匠の三味線を聞いていた今の六代目・鶴澤燕三さんです。燕三さんは、楽屋着の浴衣のまま代理で続きを弾き、その後、先輩である錦糸さんが演奏を代わり、最後まで舞台を務めました。





竹本住大夫(たけもと すみたゆう)さんの相三味線を19年間務める

五代目・燕三さんが倒れたときに、その時に語っていた太夫は、人間国宝の故・竹本住大夫さんで、住大夫さんは少しも動じることなく語り続けていたといいます。

五代目・燕三さんはそのまま引退し、錦糸さんがあとを引き継いで、住大夫さんとコンビを組む相三味線(あいじゃみせん)になりました。

住大夫さんはすでに人間国宝、錦糸さんは30歳そこそこです。想像を絶する大変なこともあったと思いますが、そこから19年の長い間、住大夫さんの引退まで相三味線を務めます。

現在、錦糸さんは若手の靖太夫さんとコンビを組むことが多いです。ベテランと若手が交互に組むことにより、芸が伝承されていくんですね。





野澤錦糸さんの入門のきっかけは?家族は?趣味や特技は?SNSは?

ふつうのサラリーマンの家庭に育ち、小学生のころから洋楽好きだった錦糸さん。お母さまの影響で、歌舞伎や落語も好きで、三遊亭円生や古今亭志ん生の大ファンだそうです。

高校卒業後は落語家・金原亭馬之助に弟子入りするつもりが、たまたま行った国立劇場で文楽研修生募集のポスターが目に止まり、まったく縁のなかった文楽の世界に。ギターが得意好きだったので三味線を志したそうです。

運命の出会いってこういうことでしょうか。

若手の鶴澤友之助(つるざわ とものすけ)さんも、元はコントラバス奏者を目指していたのに、たまたま文楽研修生募集のポスターを見てこの道に入ったというし、ポスターGJ!ですね。

ご家族は、息子さんがいらっしゃるそうです。




錦糸さんはカルチャースクールの人気講師。錦糸さんのWebサイトは?SNSは?

錦糸さんの文楽のお弟子さんは、野澤錦吾さんです。

それ以外にも、大阪・中之島の朝日カルチャーセンター義太夫・三味線教室で、女流義太夫三味線方・豊澤雛文とともに一般の方々を教えています。生徒さんは素人義太夫の会を結成して、ほぼ毎年公演を行っているそうです。

その名も「錦糸たまごの会」。ナイスネーミングですね。
錦糸さんのSNSはないようですが、ファンの方の運営する公式(公認)サイト「野澤錦糸」があります。




らら子的萌えポイント

舞台で拝見すると、「会社の重役さんか校長先生みたいだなー」という風貌の錦糸さん。クールで落ち着いた舞台姿ですが、演奏は深く熱い情熱を感じます。

住大夫さんの引退後、若い靖太夫さんの三味線を弾いているお姿をみて、文楽のことをよく知らなかった私は、「あんなベテランの方が、若い人の三味線を弾くなんて、どうなんだろう??」と思っていたのですが、太夫と三味線さんは、交互に年齢の離れた人同士組んで、経験のある人が若手を育成することもよくあると知って納得しました。

文楽はもちろん、義太夫のすそ野も広げる活動もすばらしいですね。お忙しい日々と思いますが、ますますのご活躍をお祈りしております!





参考にさせていただいたサイト

公益財団法人 文楽協会 https://bunraku.or.jp/index.html

住大夫と名コンビ、野澤錦糸 師匠照らした19年 2014/5/13付https://www.nikkei.com/article/DGXNASIH15001_V10C14A4AA1P00/

歌舞伎・文楽インタビュー バックナンバー 野澤錦糸http://www.nohkyogen.jp/kensyo/int/bunraku-kabuki/28/28i.html

【体罰 こう思う】(3)文楽三味線 野澤錦糸さん(55)厳しさは必要だが「罰」はいらない https://www.sankei.com/west/news/130130/wst1301300033-n1.html





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