美の壺 「動く美術館 祇園祭」<File611>お店や場所はドコ?出演者情報もお見逃しなく!NHK美の壺

こんにちは~。らら子です。

今回のNHK 『美の壺』は、「動く美術館 祇園祭」。

京都の夏といえばやっぱり祇園祭ですよね〜。町々によって装飾もさまざま、山鉾めぐりも楽しいですよね。

暑さも吹き飛びます!自慢の鉾や山がたっぷり出てきます♡

番組で紹介されたスポットやお店をご紹介。

いざ、コンチキチンワールドへ。





美の壺:放送内容、出演者情報

【番組予告】

京都の夏の風物詩、祇園祭。「動く美術館」と呼ばれる山鉾は、京都中心部のいわば町内会が運営している。町衆の美意識の結晶、山鉾の鑑賞ポイント▽鉾を建てるのに蝶と海老?各町こだわりの縄がらみ▽美しく気味悪く…超絶技巧の飾り金具▽まるでパズル!海を渡ってきたタペストリーの秘密▽過去から未来へ技を継承!復元新調の挑戦▽新発見!鶏鉾に立つ稚児人形が座った!▽大河でおなじみ本多力が疫病神に!草刈さんピンチ

<File611>

出典:番組公式ホームページ

【ゲスト】
【出演】草刈正雄 木村多江(語り・ナレーション)





美の壺:1つめのツボ「町衆の情熱が動かす山鉾」

美の壺 祇園祭の立役者「町衆」

京都の夏の風物詩「祇園祭」。

平安時代時代から続く八坂神社の祭礼、で疫病退散を祈願。高いものなら高さ26メートルの山や鉾が、京都の町中を練り歩きます。

祇園祭を運営するのは、いわば町内会の人々「町衆(まちしゅう)」です。それぞれの町で鉾や山を持ち、わが町の誇りをかけて守り続けています。

山鉾は34基あり、町ごとに個性があります。

カマキリをシンボルとする蟷螂(とうろう)町の蟷螂山、船形の鉾の船鉾町といったようにさまざまです。

山鉾には、タペストリーや飾り金具など縣装品(けそうひん)で彩られ、1年に1回披露される祇園祭は、「動く美術館」と称されるほどです。

最大の祭りの醍醐味は、都大路の交差点で山鉾を方向転換させる「辻回し(つじまわし)」です。

竹に水をまき、10トンの山鉾を人力で回転させます。

一気に成功させると、観客から歓声がわきおこります。華麗に技をみせるのが町衆のなのです。

ワタクシらら子も、テレビで見たことがありますが、本当にあっという間にくるっと回っちゃうんですよね。重機を使わず昔ながらの竹と水というのが驚きです。

(kinchan-marc@kincham_newさん、アップありがとうございます。)




美の壺 安井 秀和さん  船鉾(ふねほこ) 手伝方

7月の1ヶ月、京都では祇園祭に関わるさまざまな行事がとりおこなわれます。

大きくわけて、前後にふたつです。

  • 「前祭(さきまつり)宵山7/14〜16・山鉾巡行7/17」
  • 「後祭(あとまつり)宵山7/21〜23・山鉾巡行7/24)」

前祭山鉾巡行の6日前、船鉾では、「鉾建て(ほこたて)」がはじまりました。

蔵から部材を取りだし、3日がかりで縄を固定して組み上げます。

伝統的な「縄がらみ」という手法です。釘を使わず、すべて縄で組むなんてこれもおどろきですよね。

船鉾手伝方の棟りょう・安井秀和さんは、父の跡を継ぎ、船鉾をたてて56年になります。

手がかりは20歳の頃につくったアルバムです。

後世に技を残すためつくったそうです。写真には丁寧なメモ書きがされていて縄の編み方もわかりやすいです。

安井さんの息子さんは、今、このアルバムを見ながら作業をしています。

こうして技が伝承されるのですね。

(ロン@ronsuke0717さん、アップありがとうございます。)




美の壺 岸本 吉博さん 放下鉾(ほうかほこ)保存会 ・ 丸橋 博之さん 船鉾保存会

特徴的な縄の組み方「縄がらみ」は、町衆のこだわりがつまっています。

鉾の筋かいは、「蝶」と呼ばれる束ね方で羽根を広げているようです。車軸をささえる石持ちは、エビの形です。

「海老」は、鉾や山によってちがいます。長刀鉾は、ぎっしり13匹のエビがならび、菊水鉾は、しっぽがまるくてかわいく、放下鉾にはヒゲがあります。

町衆の心意気を感じますね。しかし、縄の組み方は、山鉾巡行では装飾に隠れてほとんど見ることはできません。

せっかくの技なのに見られないなんて、残念!と思ってしまいますが……。

放下鉾(ほうかぼこ)保存会理事長の岸本吉博さんは、見えないところにも技の粋を尽くして美しく仕上げたいという思いからだそうです。

なるほど!

船鉾保存会代表理事の丸橋博之さんも、どの町も「自分のとこの山鉾が一番や!」という思いでお祭りをしていると言います。

鷁(げき)という金の鳥をつけ、車輪をつけると鉾は完成です。お囃子を乗せ、曳き初めをして町内の人に披露します。

さあ、いよいよお祭り本番がスタートします。

(Tea🍞☕@sakiLov42542313さん、アップありがとうございます。)




美の壺:2つめのツボ「きらり輝く 町衆の美意識」

美の壺 橋本 章さん 京都文化博物館学芸員

山鉾巡行の先頭を行くのは長刀鉾(なぎなたほこ)です。

34基ある山鉾のうち唯一、生き稚児、つまり生きた人間の子どもが乗っているのが長刀鉾です。

以前は、他の鉾でも生き稚児がのっていました。

今では長刀鉾のみになりました。長刀鉾は、特別な、重要な鉾なんですね。

お稚児さんが舞を披露する下には、「欄縁(らんふち)」という飾り金具があります。

江戸時代後期の欄縁《三十六禽(きん)之図》は、36の生き物や方角、時間をあらわしたものです。

鉾や町の人を守る願いがこめられています。

これらは長刀鉾の町衆が依頼して、かざり職人の柏屋善七がつくったものです。京都文化博物館の学芸員・橋本章さんにおたずねしました。

町衆の人は、絵や工芸の造詣も深く、文化レベルが高く、美意識の高い町衆に見合ったものを作ったのだろうと言います。

特にナメクジの表現がものがたっているそうです。

ナ、ナメクジ??

たがねをつかい、独特の質感を必要以上にだしています。柏屋善七の職人魂が、これでもかと写実を追求し、町衆の依頼に応えました。

トップの美意識とトップの技術がぶつかり合い、リアルでキモいナメクジになりました(^^;

(京都文化博物館@kyoto_bunpakuさん、アップありがとうございます。)




美の壺 鶏鉾(にわとりほこ)と滋賀・長浜曳山まつり

鶏鉾の後ろを飾るタペストリー「見送幕(みおくりまく)」。オリジナルは、重要文化財です。

16世紀のベルギーで織られたもので、トロイア戦争がモチーフとなっています。

16世紀!500年前ですね。

この絵の続きは、隣県の滋賀県にあります。

滋賀県長浜市の「長浜曳山まつり」は、長浜城主の豊臣秀吉に男の子が生まれたことをきっかけに祇園祭の影響を受けて400年前にはじまりました。

鶏鉾と長浜の曳山の鳳凰山(ほうおうざん)のタペストリーを組み合わせると、なんと!1枚の絵になります。

そして、残りの部分は、祇園祭の霰天神山(あられてんじんやま)のタペストリーになっています。

なんという大発見でしょう!1枚を3つに分けていたのですね。

パッチワークのように巧みに神様を三角形に配置し草花は、装飾にして縁飾りにしました。

橋本章さんは、町の人が、「あーでもない、こーでもない」と開拓をして見たことのない前かけを作ろうと考え、町衆の美意識が山鉾のあちらこちらに宿っていると語ってくださいました。

(山村純也|らくたび代表@yamamura_junyaさん、アップありがとうございます。)




美の壺:最後のツボ「千年をつなぐ 冒険心」

美の壺 淺湫 毅(あさぬま たけし)さん 大学教授

祇園祭では、長刀鉾のみ7歳から12歳までの男児が稚児として選ばれます。

他の鉾は、生きた稚児の代わりに人形の稚児をのせます。

2023年、鶏鉾の稚児人形に大きな発見がありました。文久3年(1863年)山下源光好の作、今から160年前のものです。

通常は、直立の状態で鉾に乗せられています。

鶏鉾保存会が稚児人形の修復調査をしたところ、追手門学院大学の淺湫教授があることに気がつきました。

衣装をぬがせたところ、足のつけ根とくるぶしにフックがついています。

淺湫さんは、稚児人形は座っていたのでは?とたずねました。しかし、保存会では、稚児人形が座っていた伝承はなかったそうです。

鉄の芯を取り外し修復によりなめらかになった関節は、なんと曲がりました。稚児人形は座わることができたのです。

大発見ですね。うわー、こんなにも精巧な人形だったんですね。

目には水晶がはめられ、歯には牛の骨が使われています。

淺湫さんは、「京都の人は保守的と思われているが、新しいものを受け入れ、新しい文化をつくっていくことで長く続かせているのだ」と、祇園祭の真髄を語ってくださいました。

(ざしきわらこ@8t7zrNIH0uEKZTGさん、アップありがとうございます。)




美の壺 長谷 幹雄さん 橋弁慶山保存会

祇園祭後祭に登場する「橋弁慶山」は、牛若丸と弁慶がたたかう姿が表現されています。

鉾ではなく山なんですね。山には松の木が立っています。お囃子がないのも特徴です。

2024年5月24日京都市京セラ美術館にて橋弁慶山の装飾品・前懸(まえかけ)がお披露目されました。

≪藍地波濤(あいじはとう)に飛龍文様綴織(ひりゅうもんようつづれおり)≫です。

59色の絹と金の糸を用いて5匹の龍を表現、龍の周辺には縁起柄のコウモリが配されています。織物じゃないようなリアルさです。

18世紀の中国の清王朝の宮廷衣装を幕に仕立てなおしたものです。

江戸時代初期につたわり、明治時代まで実際に掛けられていました。老朽化のため現代の職人によって復元新調されました。

「幻の前かけ」になってしまっていたので、同じ町でも知らない人もいて、原材料の確保の点や制作技術が途絶える危機もありました。

橋弁慶山保存会理事長の長谷幹雄さんは、「復元の一番大切なことは、技術の伝承」、技術を保存して次の世代につなげていくことだと語ってくださいました。

復元新調された前かけは、2024年祇園祭後祭山鉾巡行で掛けられて、多くの人を魅了しました。

(篠笛奏者 佐藤和哉 KazuyaSato@SKSHINOBUEさん、アップありがとうございます。)




美の壺 小谷 靖志さん・西尾 彩さん 織物会社 織技術者

橋弁慶山の復元新調にたずさわったのは、「川島織物セルコン」の2人の織物職人、小谷靖志さんと西尾彩さんです。

川島織物セルコンは、天保14年(1938年)着物悉皆屋として創業、つづれ織りを得意とした織物会社です。

こちらの製品は舞台の緞帳にも使われていますよね。

ワタクシらら子も歌舞伎や文楽を観に行くときは、幕間の緞帳を見るのを楽しみにしています。たいてい川島織物セルコンさんか龍村美術織物さんです。

つづれ織は帯でも人気。ワタクシらら子も義母のおさがりの爪つづれの帯を一本持っていますが、それはそれは細かいこと。

橋弁慶山の復元新調は、2019年に始まり5年の歳月を要しました。

つづれ織り技法は、平安時代からありますがこれほど細かなものはありません。

西尾さんは、未知の細かさで難易度も高く、経糸(たていと)が切れて最後まで織りきれるか不安でした。

1寸(3.03㎝)幅にたて糸が85本、集中力が求められ、1日で織れるのはたった2ミリ、2台の織機でおり、最後につなぎ合わせます。

小谷さんによると、苦心したのは、金糸でした。

通常、つづれ織りは爪でおさめますが、金糸はかたく、針をつかうことでしっかり収まるそうです。織りながら技術を習得しました。

試行錯誤の末、115メートルを織りあげました。西尾さんは、また同じように織れる自信があるそうです。職人のあくなき探求心が、後世へとつないでいきます。

(pukuri@2035voyagerさん、アップありがとうございます。)




美の壺:再放送・バックナンバー情報

NHK美の壺の【バックナンバー】をまとめてみました。
2019年以降の放送一覧のまとめはこちら。

こんにちは。らら子です。 いつも楽しみに見ているNHK『美の壺』のバックナンバーを2019年後半から現在までまとめてあります。

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2019年はこちらです。

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ご参考になさってくださいね。