【文楽】鳴響安宅新関(なりひびくあたかのしんせき):かんたんあらすじと解説:見どころ

文楽『鳴響安宅新関(なりひびくあたかのしんせき)』。メインは「勧進帳(かんじんちょう)の段」。いわゆる義経弁慶主従の話で、歌舞伎十八番としても知られる人気の演目です。

能楽や歌舞伎でおなじみの演目を人形が演じる面白さや、人形ならではの味わいがあって、私も好きな作品です。

あらすじ、見どころ、文楽と歌舞伎、能楽との違いについてもご紹介します。






文楽『鳴響安宅新関(なりひびくあたかのしんせき)』は、ざっくりいうと勧進帳(かんじんちょう)

ザックリ言うと、奥州(岩手県)へ逃げる義経(よしつね)・弁慶(べんけい)らの主従一行が、安宅(あたか)に新しくできた関所を変装して通行しようとする話。

山伏に成りすました弁慶が、ニセの「勧進帳」を読み上げたり、芝居を打ってピンチを切り抜けるというスリルとサスペンスです。

「勧進帳」とは、寺院の堂塔を建てるために資金や資材の寄付を募るお知らせのこと。この演目のキーアイテムです。

ポイントは、弁慶はそもそも勧進帳など持っていないところ。えー。

ゆえに「勧進帳を読む」というのは、でっち上げの出まかせを言うという意味の慣用句にもなっています。

旅の目的を偽って、勧進帳をもって全国を行脚していると言い逃れようとする弁慶と、関所を守る役人の富樫(とがし)の対決が見ものです。

安宅の関は現在の石川県小松市、日本海に面した小松空港の近くにあります。

付近には、弁慶が腰かけた岩や、弁慶が義経に謝った場所など、ゆかりの旧跡が残っています。





能楽『安宅(あたか)』⇒歌舞伎『勧進帳』⇒文楽『鳴響安宅新関(なりひびくあたかのしんせき)』

近松作品など、文楽から歌舞伎の演目になったものは多くありますが、この演目は反対に歌舞伎の『勧進帳』から作られています。

さらにその元は能楽の『安宅(あたか)』という演目。

その後、文楽では明治28(1895)年、『鳴響安宅新関(なりひびくあたかのしんせき)』というタイトルで初演されます。

作曲は、三味線の「名人団平」として知られた二代目・豊澤団平(とよさわだんぺい)です。団平はその3年後に、演奏中に脳溢血で倒れ、そのまま帰らぬ人となります。

私はこの『鳴響安宅新関(なりひびくあたかのしんせき)』というタイトルも、かっこよくて好きなんですよね。

「鳴響」を「なりひびく」とよませちゃうところがまずかっこいいし、「なりひびく」という言葉が勇ましくて華やかでとてもいいと思います。

しかも何が鳴り響いているのかよくわからないのが、またシュールだと思いませんか。いろいろと想像させてワクワクします。

舞台には日本海に面した浜辺にある急ごしらえの関所。ばああっと風景が広がっているところも気持ちがいいです。




『鳴響安宅新関』あらすじ:ネタバレ

兄の源頼朝(みなもとのよりとも)に嫌われた源義経(みなもとのよしつね)が、家来の弁慶(べんけい)らと奥州(岩手県)へ落ち延びようとする途中。

主従一行は、山伏(やまぶし)と荷物運びの強力(ごうりき)に変装しています。日本海に沿って逃げる彼らは、安宅の関(あたかのせき)を通過しようとします。

関守の富樫は、義経一行が山伏に変装しているという情報を得ていたので、その一行を怪しみます。

旅の目的を問われた弁慶は、寄付を募る勧進の旅だと答えますが証拠がない。

とっさに全く別の巻物をとりあえあげて勧進帳といつわり、そこに勧進の文言が書いてあるかのように朗々と読み上げす。

あまりに堂々とした様子に、富樫もいったんは関所を通そうとします。ほっ。

ところが富樫は、一行の中に義経に似たものがいることに気づき、一行を止めます。

弁慶は「お前のせいで疑われた」と、持っていた杖で義経を容赦なくバキバキに叩きます。思いがけないその行動に、周囲はあっけにとられます。

富樫は、弁慶の主君への必死な思いと苦しい胸の内に心うたれ、関所を通る許可を与えるのでした。

関所を後に海岸まで出て、やれやれと一息つく一行。弁慶のとっさの機転を口々にほめますが、弁慶は申し訳なさに消え入りそう。

義経に涙ながらに詫びる弁慶。もちろん義経は弁慶を責めることなく、自分の武運のなさを嘆きます。

一行が立ち去ろうとしたとき、富樫が戻ってきて先ほどのおわびに酒をすすめます。弁慶は盃を受けて大酒を飲み、昔の恋話などに花を咲かせ、舞い踊ります。

舞の間に一行に合図して先に出発させた弁慶は、自分も身支度を整えると急ぎ主従を追いかけていきます。

この時の見どころが「飛び六法(とびろっぽう)」という独特の走り方です。





『鳴響安宅新関』見どころ:歌舞伎との違い

歌舞伎をもとにした演目ですが、少しずつ違いがあります。歌舞伎でおなじみでも、文楽だとこうなるのかというのが面白いところです。

元の能楽から残る雰囲気も感じつつ、人間が演じる歌舞伎との違いに注目しながら鑑賞するのも楽しいのではないでしょうか。

『鳴響安宅新関』ニセの勧進帳は誰が読む?

歌舞伎では、弁慶がニセの勧進帳をよどみなくスラスラと読み上げる場面が、緊迫感の高まるクライマックスのひとつです。が、文楽の場合は弁慶が人形なので、語るのは太夫。

当然、太夫は床本(ゆかほん)を見て語っているので、ちょっと違和感があるかもしれません。

ま、歌舞伎でも役者はセリフを語っているだけで、ニセの勧進帳をアドリブで語っているわけではないなのですが。

この辺は、『阿古屋(あこや)』で琴・三味線・胡弓を弾くのは専門家……と通じるものがあります。観客も想像力を働かせて大いにその世界に浸りましょう。

余談ですが、赤塚不二夫さんの告別式でタモリさんがよどみなく読み上げた弔辞が、実はまったくの白紙だったということがありました。

「勧進帳」を思わせるエピソードです。




『鳴響安宅新関』海辺で酒を酌み交わす

能楽にルーツを持つこの演目は、松羽目(まつばめ)ものと言って、能舞台を思わせる板壁の模様が幕に描かれています。

歌舞伎の場合は、お話のほとんどが同じ場面で進みます。

安宅の関は海に面しているので、一歩外へでれば海浜。

文楽の場合は、関所を抜けた一行が一息ついているところに、富樫が一行を追いかけて酒をふるまうので、海辺の設定になっています。

海浜で潮風に吹かれながら、気分よく酒を飲もうという趣向にも思えます。

弁慶は義経一行が気になって気持ちは焦っているでしょうが、ここで富樫の心意気に感謝して勧められるまま、豪快に酒を飲み干します。




『鳴響安宅新関』文楽ならではの「飛び六法」の迫力

勧進帳の最後の見せ場は、先に行かせた義経一行を猛スピードで追いかけていく場面です。

歌舞伎の場合は、弁慶役者が床を踏み鳴らしながら鬼の形相で勢いよく花道を去っていきます。

一方、文楽の場合は、人形なので弁慶の人形は宙に浮いていて、人形の代わりに足遣いがどんどんと足音を立てます。

文楽の技芸員は、足遣い→左遣い→主遣い、と役割が変わっていきますが、この演目は足遣いが重要で、これをやれば足遣い卒業できる技量に達したということだそうです。

さて、大きな弁慶の人形を持った大の男三人が、呼吸を合わせて猛スピードで動いていくというのは、空気が動くというかかなりの迫力です。

弁慶を遣う人形遣いは、三人出遣い(さんにんでづかい)といって、主遣い、左遣い、足遣いとも頭巾をかぶらずに顔を出しているのが、さらに迫力を加えてくれます。





参考サイト

https://www.sankei.com/west/news/161107/wst1611070003-n1.html

https://blog.goo.ne.jp/harunakamura/e/54dd83cbb63e3b01830a294054fc9465

https://style.nikkei.com/article/DGXNZO71125970T10C14A5000000?channel=DF130120166057&page=2&style=1





シェアする

  • このエントリーをはてなブックマークに追加

フォローする

関連コンテンツユニット(レスポンシブ)