美の壺「城」スペシャル:お店や場所はドコ?出演者情報もお見逃しなく!NHK美の壺スペシャル

こんにちは~。らら子です。

今回のNHK 『美の壺』スペシャルは、「城」。
お城ってロマンを感じちゃいます。城にある国宝や宝物がたっぷり出てきます♡
番組で紹介されたスポットやお店をご紹介。

いざ、ジャパニーズ城ワールドへ。






目次

美の壺:放送内容、出演者情報

【番組予告】

世界遺産30周年の姫路城。直木賞作家・今村翔吾がその魅力を全力で語る▽城の姿を精巧に再現する城郭模型作家が「白眉」とたたえる松本城のベストスポット▽穴太衆(あのうしゅう)が、極秘に受け継いできた「石垣」の技▽“天空の城”竹田城。細部に宿る“神業”とは?▽彦根城の庭園にみる、壮大でドラマチックな仕掛け▽二条城と名古屋城は、極上「障壁画」▽木村多江は、金沢城のなまこ壁に挑戦▽草刈正雄の“家臣”登場!?

出典:番組公式ホームページ

【出演】草刈正雄 木村多江(語り・ナレーション)




美の壺:1つ目のツボ「時代を映す美の宝庫」

美の壺:姫路城 兵庫県姫路市 今村 翔吾さん 小説家

1993年、国宝・姫路城は、日本で初めて世界文化遺産に登録されました。今年で30年になります。

1609年、池田輝政により築城、標高45.6メートルに立つ姫山を中心に築かれた平山城です。

内部は5重、地上6階、地下1階の構造で、高さ31.5メートルの大天守と東小天守・西小天守・乾小天守の三基の小天守からなります。

2022年、166回直木賞を受賞した時代小説家の今村翔吾さん。

受賞作『塞王の楯(さいおうのたて)』の中で、戦国時代の大津城を舞台に石垣職人と鉄砲職人の対立を描きました。

そんな今村さんの原点となった城が姫路城でした。

初めて訪れたのは5、6歳の子どもの頃でしたが、その後、訪れた他の城が小さく感じたそうです。

今村さんに姫路城のおすすめの鑑賞ポイントを教えていただきました。

https://twitter.com/BiwakoOhmiLove/status/1480487079612235777

(滋賀県の情報と観光スポット@BiwakoOhmiLoveさん、アップありがとうございます。)




美の壺:いざ姫路城へ

まずは、大手門をくぐり、「三の丸広場」へ向かい、全体像の姫路城を鑑賞します。

絶景ですね(≧◇≦)

姫路城は大きさや構え、バランスが取れた総合的な美しさがあります。

続いて、けわしい坂を上ると「菱の門」が見えてきました。城内で最も大きな門で、柱や扉にケヤキを使い木製の花菱が名の由来です。

太平の世の城のため、実戦だけでなく見せるための美しさにもこだわっています。

城主気分で大きな門をくぐり抜け、「扇の勾配(こうばい)」と呼ばれる石垣の積みを紹介くださいました。

石垣の隅が、美しくすらっと整う高い技術です。

石垣には、石の一つひとつに歴史があり、積み上がる美しさがあると今村さんは、熱く語ります。

「るの門」の石の階段を通り、ようやく「大天守」へ到着しました。屋根の唐破風と千鳥破風の組み合わせのデザインも人気の一つだそうです。

そして、最後に大天守と小天守をつなぐ「ロの渡櫓(ろのわたりやぐら)」へ向かいます。

大きく広い廊下です。床面は、修復したものですが、真ん中の床部分は、築城時のもので板材がゴツゴツとしています。

お殿様もこの廊下を歩いたんですね。足の感触を感じて400年前の歴史を感じる今村さんでした。

https://twitter.com/TG6eJy1R2VjTLJM/status/1626145163222614016

(桃のメモ帳@TG6eJy1R2VjTLJMさん、アップありがとうございます。)




美の壺:松本城 長野県松本市 島 充(しま みつる)さん 城郭模型作家

城郭模型作家の島充さんが登場します。

城の魅力をより多くの人に身近に感じてもらいたいと日本各地の城を再現しています。その数は、40に渡ります。

現存するものばかりでなく、空襲で焼失した城を再現しているものもあり、学術的にも高い評価を受けています。

島さんが城に興味を持ったきっかけは、小学生の頃、旅行で訪れた松本城でした。島さんは、子どもでもわかるカッコ良さや美しさに城の魅力があると感じています。

松本城は、松本盆地の平地に建つ平城で、天守は5重で6階、高さ29.4メートルです。

1590年、石川数正・泰長父子により基礎を固め、戦災にあわなかったことや築城当時の姿を今に残していることから国宝に指定され、黒い板壁に特徴があります。

日本にある5つの天守の内、水堀から直接立ち上がっているのは松本城のみです。島さんは、水面に映った天守は、金閣寺や平等院鳳凰堂と並んで白眉だと言います。

島さんに松本城を紹介いただきました。

(島 充@城郭模型@joukakumokeiさん、アップありがとうございます。)




美の壺:松本城のヒミツ

城へと歩みを進めると、少しずつ城の全体像が見えてきました。

黒い城だと思っていましたが、歩くたびに白い軒裏(のきうら)と黒い板壁の比率が変化をしていきます。

白い漆喰(しっくい)の軒裏が青空に映えて美しいですね。

いよいよ天守へ向かいます。

天守3階は、外からはわからない隠し階で戦の時、武士が集まる秘密の場所です。

緊張を感じます。柱が多くあり、天守の重みを支えています。この階は、1か所の窓からのみ光が入ります。柱の表面には、手斧(ちょうな)で削った跡が模様となって浮かび上がります。

大工の息遣いを感じます。

不思議な表情の島さんです。島さんは、最上階の天守6階に上ると、すぐに引き返したくなるそうです。

最上階に人が入るのは、城主が落城する切迫した時で、厳しい建物なのだと感じそのことを思うと逃げ出したくなる気分になるそうです。

当時に思いを馳せている島さんでした。

https://twitter.com/suttsucamera/status/1724434901846331663

(西村なぎさ@suttsucameraさん、アップありがとうございます。)




美の壺:2つ目のツボ「石の声をきく」

美の壺:彦根城 滋賀県彦根市 粟田 純德(あわた すみのり)さん 穴太衆(あのうしゅう)15代頭

滋賀・琵琶湖の東に位置する彦根城は、1604年から18年かけて築いた城です。

近世城郭と呼ばれ、城を立派に見せるため城に石垣を築きました。

石垣建築には、「穴太衆」と呼ばれる集団が重要な役割を果たします。穴太衆は、石工の集団で寺院や城郭の石垣施工を行う集団です。

穴太衆の技術は、現在も受け継がれています。

「㈱粟田建設」の粟田純德さんは、滋賀県大津市を拠点に全国で活動をしています。穴太衆は、「野面積み(のづらづみ)」と呼ばれる自然石を加工せずにそのまま積み上げる手法を得意としています。

粟田さんで十五代になりますが、石垣建築は、ほとんどが極秘事業で文書を残すことも禁じられ、全てが口伝で伝わっています。

粟田さんも祖父の万喜三(まきぞう)さんから教わりました。

粟田さんは美の壺<File428>「石垣」の回にも出演なさいました。

https://bunrakukimono.com/btb-428-ishigaki-3504

https://twitter.com/anoushu_/status/1640053219937382401

(粟田建設@穴太衆【公式】@anoushu_さん、アップありがとうございます。)




美の壺:穴太衆の極意

彦根城の「天秤櫓(てんびんやぐら)」を支える石垣の部分には、野面積みの特徴がよく出ています。

雨風にさらされにくく、築城当時の石積みがわかる場所だそうです。

石と石の間に細かい石を入れて「品」という字のように組んでいきます。ひとつの石にだけ荷重がかからないように工夫がこらされています。

水はけがよく、崩れにくい、地震にも耐えられる造りです。

穴太衆は、独持の考えを持っていて「石の声を聞け」と、石の行きたいところへ行かせます。

大小のバランスを考えて自然の石で組み立て、自然の石をそのまま使うことが美しいとされています。

彦根城「表門」近くの石垣は、粟田さんの修業時代、祖父について修復したものだそうです。

粟田さんは、日本独自の技法に美しさを感じ、人から見られて感激されるとやりがいを感じるそうです。

すごい技術ですね。

(かっつん城推し改@castlemaster03さん、アップありがとうございます。)




美の壺:竹田城 兵庫県朝来市 来村 多加史(きたむら たかし)さん 大学教授

兵庫県朝来市の標高353.7メートルの山に城跡があります。

竹田城は、室町時代中頃に建てられ関ケ原の戦いの後、廃城となりました。現在は、石垣のみが残っています。

大学教授の来村多加史さんは、考古学・軍事史が専門で、さまざまな戦を文献と実地調査から読み解いています。

来村先生のオススメのスポットは、「大手門」です。

門をはさんで両脇に石垣があり、攻め方は横矢をかけられる危機を感じる場所です。あちらこちらに軍事的な工夫がされながら石垣には立体感があり、技術の美が見受けられると感慨深い様子です。

天守台に登ると竹田城の石垣が一望できます。

竹田城は、虎がふせたような姿に見えることから「虎臥城(とらふすじょう)」という別名があります。

形や高さがバラバラな石垣の全体を見下ろすと統一感があり、廃墟ならではの美しさが見られます。9月から12月の早朝には、山の間に霧がたまり雲海のように見える時間があります。

天空に城跡が浮かび上がり別世界にいるようです。

歴史ロマンですね。

(【公式】竹田城跡(兵庫県朝来市)@takeda_castleさん、アップありがとうございます。)




美の壺:木村 多江さん 金沢城 城の美を訪ねて 石川県金沢市

美の壺:冨田 和気夫さん 石川県金沢城調査事務所所長

木村多江さんが、「城の美」を求め、石川県金沢市を訪れました。

金沢城は、市街の中心地に城があります。1583年に前田利家が入城、江戸時代、加賀藩前田家が14代に渡り居城としました。

玉泉院丸庭園(ぎょくせんいんまるていえん)は、藩主のプライベート庭園です。

木村さんは、石垣のある庭園を初めて見たそうで、強さと美しさを兼ね備えている庭園という印象を持たれました。

石川県金沢城調査事務所の冨田所長に庭園をご案内いただきました。

庭園の中心が「色紙短冊積石垣」で、名前の通り、正方形と長方形の石垣がバランスよく配置されオブジェのようです。

太平の世、美的な見え方を追求した石垣です。

金沢城のもうひとつのシンボル「五十間長屋(ごじゅっけんながや)」の壁は、「海鼠壁(なまこかべ)」と呼ばれるふちが盛り上がっている個性的な壁です。

雪の多い北陸地方ならではの工夫です。

雪で壁がぬれるため平瓦を壁に貼り、周囲を漆喰でぬり補強しています。

冨田さんによると、なまこ壁のような手間のかかる高級外壁仕様は、財力の証として家臣に知らしめるものでもあったようです。

しつくいの白い十字がユニークです。なんだか、かわいいですね。

https://twitter.com/aoitrasan/status/1724580827575837092

(蒼井とら@aoitrasanさん、アップありがとうございます。)




美の壺:大道 浩(おおみち ひろし)さん 左官工事会社役員 海鼠壁体験

続いて、なまこ壁はどうやってつくるのか、五十間長屋の修復でなまこ壁の仕上げを担当した左官工事会社「㈱イスルギ」の大道浩さんを訪ねました。

等間隔にコテで塗る作業は、技術と根気のいる作業です。大道さんに習ってなまこ壁を作る作業に挑戦です。

瓦と瓦の間の目地の部分を粗いしっくいを塗って盛り上げ、その上にきめの細かいしっくいを上塗りして仕上げます。

しっくいは、消石灰、貝灰(かいばい)、スサ、角又(つのまた)を水で混ぜます。まずは、コテ返しから学びます。しっくいを均等に取って中央からサイドへ手早く塗ります。

同じ厚さで塗るのは職人わざです。

むつかしそうですね。塗ること1時間、今度は、コテをかえて仕上げていきます。

2時間後、ようやく1本塗ることができました。

できばえはどうでしょうか。コテやデコボコの跡が残ってしまいました。

木村さんは、塗り重ねる内に、体が対話してだんだんとしっくいがついてくれるようになり自分と向き合う時間となったそうです。

(foo@niz_oofさん、アップありがとうございます。)




美の壺:成巽閣(せいそんかく) 吉竹 泰雄さん 成巽閣館長

最後に木村さんは、金沢城の中で藩主やその家族が暮らす御殿の「成巽閣」へやってきました。

館長の吉竹さんにご案内いただきます。

成巽閣は、1863年、13代藩主 前田斉泰(なりやす)が、母の隠居として建てたものです。「謁見(えっけん)の間」は、さまざまなデザインにあふれています。

前田家の象徴である梅や吉祥柄をあしらった欄間は、色鮮やかな透かし彫りです。天井は、格式のある格天井で壁は金色です。

障子の腰板は、四季折々、いろんなモチーフが描かれていて素敵ですね。

吉竹さんは、冬の間、外へ出られない母を思い素朴な日常の温かさを演出したと考えています。

プライベートルームの「松の間」には、珍しいオランダ渡りの小鳥のガラス絵が組み込まれています。異国情緒が漂いますね。

御殿の2階も案内いただきました。客人を招く「群青(ぐんじょう)の間」の天井は、鮮やか青色です。

ウルトラマリンブルーを輸入したもので訪れる人を驚かせました。

今回の旅で木村さんは、新たな城の姿を発見しました。戦いを経て平和の世をいつくしむ姿があふれていました。

https://twitter.com/sueno45136062/status/1324684221085032448

(s・ueno@sueno45136062さん、アップありがとうございます。)




美の壺:3つ目のツボ「技が伝える権威の空間」

美の壺:名古屋城 二の丸 愛知県名古屋市 原 史彦さん 名古屋城調査研究センター

城には、広大な庭園が隣接していることがあります。そのような城郭庭園には、城の美意識が色濃くでています。

尾張藩主の居城「名古屋城 二の丸」には、広さ3万平方メートルの庭園があったそうです。当時の絵図には、初代藩主の徳川義直が、庭園を整備したと記されています。

庭の目立つ位置に、御祠堂(おしどう)と儒教の経典が納められている書庫がありました。

このことから儒教の教えをもとに庭が作られていたと考えられています。

10代藩主の徳川斉朝(なりとも)の頃になると、庭には木や花が植えられ人をもてなす場となりました。

が、明治時代に陸軍が駐屯して庭の一部が取り払われてしまいました。

現在、二の丸庭園をかつての姿に取り戻そうと整備発掘の調査が進められています。

名古屋城調査研究センターの原史彦さんによると、石組や地割は、初代 義直の頃の痕跡が残っているそうです。

当時、庭の技術は京都などの中央政権にしかなく、その技術を受け継ぎ再現しているのは、武将や領民に権威を見せつけるツールとして使われていたと考えられています。

https://twitter.com/IaTLCMsgwt26E5a/status/1621806555153956864

(にしやん@IaTLCMsgwt26E5aさん、アップありがとうございます。)




美の壺:彦根城玄宮園 野村 勘治さん 作庭家・庭園研究家

彦根藩 井伊家の居城「彦根城」は、小ぶりながらも立派な天守です。彦根城の東側にある庭園の「玄宮園」は、江戸時代前期につくられました。

時代劇に登場するお庭ですよね。江戸時代にタイムスリップしたみたいです。

玄宮園は、彦根城をより壮麗に見せる演出がされています。庭園研究家の野村勘治さんに教えていただきました。

玄宮園は、池の周りを順路によって楽しむ池泉回遊式庭園です。入り口を入ると右手に橋が見え、橋と橋の間に切石が築かれています。

橋の先には何があるのか見えないため興味をそそる演出になっています。

歩みを進めると、鶴の首を象徴した石が見えます。橋の真ん中へ到着するとようやく全体像が見えてきました。

そして、暗がりを通ると明るい水辺が広がり、数寄屋建築の建物が見えてきました。彦根城の天守もだんだんと大きく広がってきます。

野村さんは、玄宮園は、徐々に全体像を見せる手法をとっていて、小ぶりな天守を大きく見せる演出がされ、城と庭の互いの魅力をひきだす秘密を語って下さいました。

https://twitter.com/kanenomaru_413h/status/1620535235497828355

(彦根城内 鐘の丸売店【公式】@kanenomaru_413hさん、アップありがとうございます。)




美の壺:4つ目のツボ「よみがえる古の至宝」

美の壺:名古屋城本丸御殿 朝日 美砂子さん 名古屋城調査研究センター学芸員

2018年、名古屋城本丸御殿は、9年半かけて復元をしました。

きらびやかで豪華な部屋ばかりですね。城には、櫓や天守のような軍事的な役割と政務や生活を行う「御殿」があります。

家康九男の徳川義直が政務を行った御殿は、狩野派により描かれたものでした。名古屋城調査研究センター学芸員の朝日美砂子さんに御殿についてうかがいました。

御殿は、棟ごとに固有の役割があり、藩主や家臣は、儀礼や行事ごとに棟を往来していたそうです。

ふすまや障壁画は部屋ごとの役割に応じて画題や技法を描き分けていたそうです。

例えば、玄関には虎やヒョウの絵を描きます。入ってくる人を威嚇し、中にいる貴人を守るために選ばれたモチーフです。

藩主と家臣が対面する表書院には、桜やキジを描きます。藩主が座る上段の間には巨大な松が描かれ藩主の威厳を表しています。

「上洛殿」は、3代将軍家光が宿泊のために作られた名古屋城だけの特別の棟です。

上段の間には、帝鑑図(ていかんず)と呼ばれる中国由来の画題が描かれています。

朝日さんによると、このような棟は、住むためのものだけでなく、権威の象徴として見せるためのものとしてつくられたそうです。

https://twitter.com/omankusu/status/1724330343027834920

(パンチョ😈🍞坐骨神経痛@omankusuさん、アップありがとうございます。)




美の壺:二条城二の丸御殿 京都市 北尾 かおりさん 絵画制作

「二条城二の丸御殿」は、将軍が上洛した際の住まいとして1603年につくられました。御殿を飾った障壁画は「二条城障壁画展示館」に収蔵されています。

「勅使(ちょくし)の間」を飾った障壁画は、狩野派によって描かれました。制作されて400年、絵具のはく落や紙の劣化を引き起こす問題に直面しました。

1972年より、御殿の間の絵を模写してオリジナル作品と入れ替えるプロジェクトが立ち上がっています。

半世紀に渡るプロジェクト、なんて壮大なんでしょう。

北尾かおりさんは、プロジェクトに参加して30年のキャリアです。制作風景を拝見しました。

半透明のプラスティックのシートに墨の輪郭線をたどっています。線の入り方や最後に線が止まっているのか、払っているのか見極め、繊細かつ重要な作業です。

高度なデジタル技術が発達した今でも人の手の技術を大切にしています。

二条城御殿の模写は、約8割が終了し、二の丸御殿の中を飾り訪れる人々の目を楽しませてくれています。

北尾さんは、写真ではない、模写という日本独自の形で残し続けたいと語ってくださいました。全模写が終了するのはいつなのでしょう。

全模写の二条城へも訪れたいですね。

https://twitter.com/JACKIEDAISUKI/status/1578590477187616768

(めいふぁん@JACKIEDAISUKIさん、アップありがとうございます。)




美の壺:再放送・バックナンバー情報

NHK美の壺の【バックナンバー】をまとめてみました。
2019年以降の放送一覧のまとめはこちら。

こんにちは。らら子です。 いつも楽しみに見ているNHK『美の壺』のバックナンバーを2019年後半から現在までまとめてあります。

2022 年はBSプレ・Eテレともにこちらが放送一覧です。

こんにちは、らら子です。 毎回楽しみにしているNHK『美の壺』。2022年の放送一覧をまとめてみました。お役に立てれば幸いです。 ...

2021 年はBSプレ・Eテレともにこちらが放送一覧です。

こんにちは、らら子です。 毎回楽しみにしているNHK『美の壺』。2020年の放送一覧をまとめてみました。お役に立てれば幸いです。 ...

2020年はBSプレ・Eテレともにこちらが放送一覧です。

こんにちは、らら子です。 毎回楽しみにしているNHK『美の壺』。2020年の放送一覧をまとめてみました。お役に立てれば幸いです。 ...

2019年はこちらです。

こんにちは、らら子です。 2019年7月から始めたこのブログ。記事もたまってきたので月別放送一覧を2019年バックナンバーにまとめてみまし...

ご参考になさってくださいね。