美の壺 「TOKYO 1964」<スペシャル>お店やスポットはドコ?出演者情報もお見逃しなく!NHK美の壺

こんにちは~。らら子です。

今回のNHK BSプレミアム『美の壺』は、「TOKYO 1964」。
55年前の東京オリンピック秘話、とっておきのエピソードたっぷり出てきます♡
今回はツボも5つのスペシャル版です。武井壮さんは最強アスリート研究所の所長役。白衣を着てマッドサイエンティストっぽい感じでしたが、さすがに身体能力高かったですね。

さてさて番組紹介されたスポットやお店をご紹介。いざ、55年前のオリンピックワールドへ。





目次

美の壺:放送内容、出演者情報

【番組予告】

▽日本のデザイン力を世界に示した、エンブレムとポスターはこうして生まれた!
▽丹下健三と若き建築家が、世界に発信した日本建築の底力
▽理想の「赤」を徹底追求!開会式のブレザーを生み出した職人たち!
▽開会を告げる「ファンファーレ」は、箏(こと)の音階がヒント?!
▽世界中で使われている「ピクトグラム」の開発秘話
▽300人のシェフが挑む世界各国の料理▽洋食界に革命をもたらした、選手村食堂のレシピとは?!
出典:番組公式ホームページ

【ゲスト】武井壮,萩原智子,廣村正彰,原田維夫,三宅義信,斎藤公男,池田樹生,遠藤謙
【出演】草刈正雄 木村多江、千葉繁(語り・ナレーション)



美の壺:1つ目のツボ 「新たなNIPPONを発信する」ーデザインー

1つめのツボはデザイン。

2020年東京オリンピックのエンブレムをデザインしたのは野老朝雄(ところ あさお)さん。組市松紋といわれる3種類の四角形を複雑に組み合わせた形。

https://twitter.com/Tokyo2020/photo

東京オリンピック1964では、当時はまだ新しかった20代後半から30代前半の「グラフィックデザイナー」と言われる人たちが活躍しました。





グラフィックデザイナー 亀倉 雄策(かめくら ゆうさく)さん

オリンピックのポスターをデザインしたしたグラフィックデザイナー亀倉 雄策(かめくら ゆうさく)さんは、6人の候補の中から選ばれ、シンボルマーク(エンブレム)も制作しました。文字は原弘さん。赤と金は秀吉の陣羽織にヒントを得たそうです。

亀倉さんは著書の中でこう語っています。

「赤丸を太陽にみたて、画面いっぱいにどかーんと出せばそれ自身新しい感覚の造形となりうる」(亀倉 雄策 『曲線と直線の宇宙』 講談社,1983.)





秩父宮記念スポーツ博物館・図書館

ポスターが所蔵されているのは、東京都足立区綾瀬にある、

秩父宮記念スポーツ博物館・図書館 https://www.jpnsport.go.jp/muse/

博物館と図書館があり、一般の人でも訪問して利用できるほか、大学や研究機関を通じて複写サービスを申し込むことができます。

主な収蔵品のうち、現物が見られるのは日本で開催されたオリンピックとしては、聖火トーチ(1964 東京大会)・入賞メダル(1964 東京大会)あります。その他、図書・雑誌・映像資料もあります。





美の壺:ゲスト 廣村 正彰(ひろむら まさあき)さん
廣村デザイン事務所

さまざまなサイン計画を作成している廣村正彰さんが登場します。
廣村デザイン事務所http://www.hiromuradesign.com/
東京オリンピック1964年の「改めて見直してすばらしい」「日本のグラフィックデザインが発展していった先駆けだった」と語ります。
聖火ランナーのポスターの他には、陸上選手のスタートシーンを撮った「スタートダッシュ」と水泳選手の「バタフライ」。
この名高い「スタートダッシュ」はアートデイレクター亀倉雄策の下、村越(38歳)がフォトディレクターとして写真家早崎治と協働で手掛けた東京オリンピックの公式第2号ポスターで、第3号ポスターの「バタフライ」とともに村越の初期の代表作です。
出典:http://www.chigasaki-museum.jp/pickup/picture_2007/2012-11gatsu.html





新潟県立万代島美術館(にいがたけんりつばんだいじまびじゅつかん)

番組でたびたび登場する写真を提供したのは

新潟県立万代島美術館(https://banbi.pref.niigata.lg.jp/)

グラフィック・デザイナー亀倉雄策さんは 新潟県燕市出身。

美術館では2015年に生誕100年記念の回顧展を開催し、初期から晩年にいたる代表的なポスター作品や装幀やパッケージの仕事、スケッチ類、当時の資料写真や愛用の品などを展示する大々的な回顧展を開催したそうです。(出典:https://banbi.pref.niigata.lg.jp/exhibition/kamekurayusaku/)




 

ピクトグラム:版画家 原田維夫(はらだ つなお)さん

今でこそ当たり前になったピクトグラム。案内や誘導、競技種目表示のためにピクトグラムが使われるようになったのは東京オリンピックが最初でした。

東京・赤坂の迎賓館に、田中一光(たなか いっこう)、宇野亜喜良(うの あきら)、横尾忠則(よこお ただのり)など若手のデザイナーたちが招集されました。招集時期はオリンピックの年の5、6月だったそうです。

宮部みゆきの表紙などでもおなじみの版画家の原田維夫さん(https://www.haradatsunao.com/)もその一人。

東京生まれ。版画家。多摩美術大学卒業。田中一光に師事後、日本デザインセンターを経てフリーに。 1964年、若手アーチストとして、横尾忠則氏、柳原良平氏らとともに「東京オリンピック1964デザインプロジェクト」に抜擢され、世界初となるピクトグラムの開発にたずさわる。

出典:https://www.haradatsunao.com/プロフィール/

中でも、トイレを表すピクトグラムを生み出すには、苦労があったそうです。原田さんいわく、男女×大小の別を考えなくてはいけないので、皆さんだんだん頭がヘンになっていったそう。

最終的には男女の別だけに絞った田中一光のアイディアに決まったそうです。





こぼれ話 Part1 オリンピックのアイテム

メダルを入れる漆塗りの箱、メダルの紐は西陣織、メダルを運んだのは漆のお盆というように日本の伝統芸能の技が生かされました。選手と役員全員に配られた参加メダルは岡本太郎作。

オリンピック記念貨幣の銀貨も1000円と100円の2種類が売り出されました。記念貨幣が売り出されたのは日本初のことだったそうです。





美の壺:2つ目のツボ 「晴れの日を飾った心意気」ー開会式ー

2目のツボは開会式。

開会式といえば、各国・地域の選手団のユニフォームが注目の的ですよね。

日本の選手団は94番目。真っ赤なブレザーに男子は白ズボン、女子は白のプリーツスカート、帽子は白でした。今でこそ赤いブレザーなんて当たり前ですが、当時はどぎもをぬいたでしょうね。

ウエイトリフティング協会 三宅義信(みやけ よしのぶ)さん

赤いブレザーにはそれぞれネームが刺繍してありました。重量挙げで東京オリンピックの日本の金メダル第一号をかざった三浦さんは「本当に昨日のよう これを見ると」と懐かしがります。三宅義信さんの輝かしいプロフィールはこちら。重量挙げ一家ですよね。

1939年11月24日、宮城県生まれ。ウエイトリフティング(重量挙げ)の日本代表としてオリンピックで活躍。60年ローマ大会、64年東京大会、68年メキシコ大会、72年ミュンヘン大会に連続出場。ローマ大会で銀メダル、東京大会とメキシコ大会で金メダルに輝く。現役引退後は自衛隊に勤務しながら後進を育成。自衛隊体育学校校長などを歴任。スポーツ功労賞(文部省)、紫綬褒章(内閣総理大臣)、瑞宝小綬章(内閣総理大臣)、名誉都民顕彰(東京都知事)、文化功労者(文部科学省)などを受賞。
出典:https://www.bbm-japan.com/health/17238811





東京五輪公式ブレザーの展示:富士川町スポーツミュージアム

山梨県にあるというスポーツミュージアムは、

富士川町スポーツミュージアム(https://www.town.fujikawa.yamanashi.jp/kanko/gallery/sports.html)

1964年東京オリンピックで日本選手団が着用した真紅の公式ブレザー、オリンピックの貴重な資料が数多く展示されています。

なぜ山梨に??と思いますが、ユニフォームなどの公式服をデザインしたテーラーの望月靖之さんが、山梨県富士川町(旧・鰍沢町)で、望月さんが収集した品を収蔵しているそうです。





東京1964大会公式服(ユニフォーム)製作:望月靖之さん

テーラーの望月靖之さんは1952年のヘルシンキ大会から日本代表団のユニフォームを手がけました。その時のブレザーは紺。

 ◆望月靖之(もちづき・やすゆき)1910年(明43)1月7日、山梨県鰍沢町(現富士川町)生まれ。11人兄妹の10番目。小学校卒業後に親族のいた台湾に渡る。18歳で帰国し、20歳で東京・神田に「望月洋服店」を開業。戦後に「日照堂」と改名し、学用品や大学の制服などを手掛けた。夏季五輪は52年ヘルシンキ大会から76年モントリオール大会まで日本選手団の公式服装を担当。03年1月に死去した。

出典:https://www.nikkansports.com/olympic/column/edition/news/1824962.html

秩父宮から日本の国を表す「色」があってもいいとアドバイスされた望月さんは、日本のマスコットは太陽だと思いいたり「赤こそ日本の色」と、自国開催に向け理想の赤を追求します。

色彩研究所(カラーセンター)を創立し、3000色もの色見本を作って望月さんと共に開発したのが大同毛職、現・ダイドーリミテッドです。

ダイドーリミテッド https://www.daidoh-limited.com/index.html

色見本を国立競技場に持ち込んで検証した結果、「黄色がかった赤」を見出します。

ユニフォームは、テーラーたちがそれぞれの個性を生かして縫製。スポーツ選手は既製服では合わない人が多いので、ちゃんと仮縫いして短い納期で仕上げたのですね。ユニフォームと共に写真を撮って故郷に帰った時に見せるとみんなに驚かれたとか。隔世の感があります。

今では男の人が赤いブレザーを着ても珍しくないし、日本の色が赤というのも当たり前な気がしてましたが、こんな開発秘話があったとは改めて時代を感じます。




東京オリンピック開会式ファンファーレ(1964):「ニッカン・ファンファーレ・トランペットNo.4」

東京オリンピック1964の開会式でファンファーレにつかわれたトランペットが登場します。最高級のトランペットをファンファーレ用に改造したものです。

柄を長くして旗をぶら下げたんですね。重そうです。

 東京消防庁音楽隊やヤマハなどによると、この演奏で使われたのが「ニッカン・ファンファーレ・トランペットNo.4」。旧日本管楽器(後にヤマハが吸収合併)が六〇年代、東京五輪の開会式用として製作したモデルだ。
出典:https://www.tokyo-np.co.jp/article/feature/tokyo_olympic2020/list/CK2019031202000125.html





東京オリンピック1964の開会式でファンファーレを吹いたのは、陸上中央自衛隊音楽隊約30人。そのうちの一人が石川県に住む川越英清(かわごし ひできよ)さんです。

川越さんは、自衛隊を退いたあと中学の先生となり、石川県内のいくつかの学校で吹奏楽部の指導を行いました。(出典:https://www.city.komatsu.lg.jp/material/files/group/6/1902_03orympic.pdf)

感動の瞬間は. 今も心に残っているそうです。番組では当時を振り返って、日本的でゆっくりなファンファーレは吹くのが難しかったといいます。

Tokyo 1964 Olympic Games – Olympic Fanfare





東京オリンピックファンファーレ作曲者:今井光也さん

開会を告げる「ファンファーレ」は、確かにゆっくりと不思議な音階。作曲者の今井光也さんは、長野県諏訪の出身。元は物理の教師、後にオルゴールの製造会社にお勤めで、地元のアマチュアオーケストラ諏訪交響楽団の指揮者も務めていました。

当時を知る団員は武井勇二さんは、今井さんが編曲の才能に優れていたことや、414作品の中から選ばれた時の驚きを語りました。

今井さんが作曲について語る映像によると箏(こと)の音階をヒント得て日本的な音階を狙ったそうです。

その後、芸大の女流琴奏者の解説によると、やはり和物の音階がもとになっていることがわかりました。楽調子(がくじょうし)というセッティング(調弦)だそうです。

ほんとだー。確かに雅楽の音階のように聞こえます!



美の壺:3つ目のツボ「受け継がれる知恵と技」ー建築

東京オリンピック2020 有明体操競技場

3つ目のツボは建築。有明体操競技場・代々木体育館と、新旧の体育館が登場します。

まずは、東京2020オリンピック・パラリンピックの主要競技施設となる有明体操競技場。基本設計担当の日建設計の高橋秀通(たかはし ひでみち)さんが、杉の木の組み合わせた外観や大屋根の設計コンセプトを語りました。

高橋秀通 http://www.jcarb.com/Portfolio00006092.html

木目を生かした作り、素敵ですね。木製のベンチが長時間の観戦には向かないのでは?という批判も出ていますが、みんな興奮して座っちゃいないかも。





美の壺 ゲスト:構造設計家 斎藤公男(さいとう まさお)さん

構造設計家の斎藤公男(さいとう まさお)さんは、有明体操競技場の構造に危惧を抱いたそうです。
通常は、もっとドームを高くして支えるところを有明の場合は屋根がフラットなので梁の荷重が心配だったそう。

斎藤さんは、弓矢にヒントを得た張弦梁(ちょうげんばり)構造を採用したと語ります。

張弦梁構造とは、「曲げ剛性を持った梁(圧縮材)と、引張材とが束材を介して結合された混合構造」であり、ビームの持つアーチ効果あるいは引張材の持つサスペンション効果が期待される形態抵抗構造のひとつです。」
出典:
https://www.shimz.co.jp/solution/tech148/

だそうです。なんだかよくわからないけどすごい!





東京オリンピック1964 国立代々木競技場(代々木体育館)

通称・代々木体育館は、国立代々木競技場として第1体育館と第2体育館があります。

国立代々木競技場(https://www.jpnsport.go.jp/yoyogi/tabid/70/Default.aspx)

実は斎藤さんは、前回の東京オリンピックの時に、構造設計家として丹下健三氏の事務所にいて、 代々木体育館などの設計に関わっていたそうです。

丹下都市建築設計 https://www.tangeweb.com/

丹下健三氏は、代々木体育館の他、都庁、ザ・プリンス パークタワー東京 などを設計した言わずとしてた建築家です。

事務所全員に体育館設計のアイディアを募り、そのうちのひとつにヒントを得て、1962年にできた若戸大橋の吊り構造を世界で初めて巨大建築に生かしたドームを設計しました。

上から見ると二巴(ふたつどもえ)というずらした形にし、渋谷からの観客も原宿からの観客もスムーズに行き来できる出入り口を作りだすことに成功しました。

久しぶりに代々木体育館を眺める斎藤さん。「見どころ満載。」「一年半で作っちゃった日本人の情熱がひしひしと伝わってくる。」と感慨深い様子です。

代々木体育館、ずっとそこにあるし、遠くから見える屋根にばかり気をとられて、近くからみるということをすっかり忘れていましたが、下から見上げてもどの角度からみてもすばらしいですね。今度よく見てみようと思います!





美の壺 ゲスト:萩原智子(はぎわら ともこ)さん
シドニー五輪 競泳

代々木体育館は、以前は室内遊泳場があり、夏はプール、冬はアイススケートリンクとして親しまれてきましたが、現在は耐震工事のためクローズしています。次回の東京オリンピックではハンドボール会場などとして使われる予定です。

代々木のプールで泳いだことがあるという萩原智子さん。ハギトモさんが登場します。

中学3年生時に、海外遠征カナダ選手権200m背泳ぎで、当時、日本歴代2位となる日本中学新記録樹立。高校インターハイでは、200m背泳ぎで、3連覇達成。
同年アジア競技大会では、個人、リレー種目で、3個の金メダルを獲得。2000年シドニー五輪、200m背泳ぎ4位、200m個人メドレー8位入賞。
2002年日本選手権では、100m、200m自由形、200m背泳ぎ、200m個人メドレーで史上初の4冠達成。出典:https://www.sportsbacks.com/tomoko_hagiwara

こんなに大きな会場で泳いだのは初めてで、とても緊張したけれど、屋根から降ってくるような歓声に励まされて気持ちよく泳げたと懐かしそうに語っていました。

そんな経験してみたいものですね~。





美の壺:4つめのツボ「活躍をささえたもてなしの味」-料理

食事で選手をささえた昭和39年東京五輪の選手村食堂。各ホテルから料理長が選ばれました。

桜食堂料理長の福原潔(第一ホテル)、女子選手村食堂料理長の入江茂忠(ホテルニューグランド)、富士食堂料理長の村上信夫(帝国ホテル)、そして総料理長兼サプライセンター長の馬場久(日活ホテル)(出典:http://blog.livedoor.jp/nsg3/archives/51897299.html)

全国から300人もの料理人が多人数の食事を作り続けました。





パインダイナー 石川県加賀市:選手村のカレー

石川県加賀市にあるレストランでは、選手村のカレーが食べられます。

パインダイナー(http://pinediner.com/

https://www.facebook.com/pinediner/photos/a.344115302274450/3013396382012982/?type=3&theater

当時、選手村で働いていた横山保(よこやま たもつ)さんが持ち帰ったレシピです。

暑い厨房で何度も火入れをするカレールー。暑いなんてもんじゃなかったそうですが、「一世一代の料理でもてなす」 「金メダル取るぐらいの気持ちでがんばらないといかんとハッパをかけられた」と語ります。

このカレーは仕上げに「塩を入れる」のがコツ。これは村上信夫料理長のアイディアだそうです。村上さんは選手の食事風景をよく観察し、カレーが残されているのに注目。

スポーツ選手は、ふつうの人より塩分が必要なことを見抜き、少し塩を効かせるようにしたら「おかわり、おかわり」と、よく食べるようになったそうです。

いろんな研究をして味が出てくるんですね。






福岡市 中村調理製菓専門学校 :選手村のレシピ

福岡市にある調理学校では、学生さんたちが実習の真っただ中です。

中村調理製菓専門学校 (https://www.nakamura-s.com/)

アルゼンチン「牛肉の煮込み」作るのも食べるのも初めて。どうやって再現したのか?実はこの学校に選手村食堂のレシピが残っていたからです。

この調理学校には馬場久(ばばひさし)さんや村上信夫(むらかみのぶお)さんが特別講師をした関係で、レシピが数多く残されています。

アルゼンチン「牛肉の煮込み」の他に、「牛肉パイ包み焼き」、パナマの「舌平目のチーズ焼き」など、その数27種類。

それまでは、親方の料理を見て盗めという風潮で、料理人もレシピを隠したがる傾向にあったのに、誰でも作れようにレシピを公開した、レシピを作ること自体が革新的だったと、調理学校の鎌田裕之先生は語ります。

全国から集まった調理人がレシピを持ち帰り、おもてなしの心と共に洋食が広まり、今に伝わっているんですね。

今ならレシピだけでなく作り方まで動画でどんどん公開しますよね。この辺りも隔世の感があります。





美の壺:最後のツボ「思いに応える」-ともにー

最後のツボは選手とともにある靴と義足にフォーカス。ちょっとの違いが選手の成績に大きく影響します。選手に寄り添うメーカーが登場します。

アシックススポーツミュージアム

1964年10月21日に行なわれた男子マラソン。中でも日本の円谷選手の三位入賞は日本人の記憶に残ります。その姿は大きな感動を与えました。

兵庫県神戸市の日本のスポーツを彩ったアイテムが展示されているミュージアムが登場します。

アシックススポーツミュージアム (https://corp.asics.com/jp/about_asics/museum)

運営しているのはシューズメーカーアシックス。創立者の鬼塚喜八郎さんは、「オニツカタイガー」ブランドで知られます。

ミュージアムの奥に貴重なシューズが保存されています。円谷選手が履いていた革製の白いシューズは、部分部分で細かく靴底の厚みを変えています。

君原健二(きみはらけんじ)選手が履いていたのは、布製のシューズ。最大の特徴は側面に並ぶ小さな穴。

ミュージアムのキュレーターシューズメーカー福井良守さんは、マメができやすく悩んでいた君原選手に、鬼塚さんはマメが出来なければもっと早く走れると考えたといいます。

シューズの中を冷やせばマメができにくいのではないかと思いつき、走るたびにふいごのように風が抜ける靴を考案しました。





江東区のランニング施設に、選手の池田樹生(いけだみきお)さんと義足エンジニア 遠藤謙(えんどう けん)のさん姿が。遠藤さんは5年前にベンチャー企業を設立。以前はアメリカの大学でロボットや義足の研究をしていたそうです。

カーボン製の板ばねの登場で飛躍的に向上しました。誰でも参加できる競技用義足の体験イベントを開催しているそうです。

実際にイベントに参加した方々のはじけるような笑顔に心打たれます。





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こんにちは、らら子です。 毎回楽しみにしているNHK『美の壺』。2020年の放送一覧をまとめてみました。お役に立てれば幸いです。 ...

2019年はこちらです。

こんにちは、らら子です。 2019年7月から始めたこのブログ。記事もたまってきたので月別放送一覧を2019年バックナンバーにまとめてみまし...





美の壺・放送予定。再放送はいつ? NHKオンデマンド登録で見逃し視聴もできます。

今回の『美の壺』初回放送は2014年01月10日(金)でした。番組内容もこの時点のものです。

Eテレ「美の壺・選」の放送は、日曜日午後11時~、再放送は毎週木曜日午前11時~です。

BSプレミアム「美の壺」は毎週金曜日午後7時30分~、再放送は毎週土曜日午前6時30分~です。

BS4Kの放送も始まりました。『美の壺』は基本的に木曜日放映が多いですが、時間帯は不定期なので要チェックです。

NHKオンデマンドなら月額の見逃し見放題パックや単品視聴ができます。月々500~600本の番組が放送当日または翌日から見られます。





【参考サイト】

番組公式ページ https://www4.nhk.or.jp/tsubo/

放送予定 https://www4.nhk.or.jp/tsubo/

再放送予定 https://www4.nhk.or.jp/tsubo/2/

NHKオンデマンド https://www.nhk-ondemand.jp/

NHK クロニクル  https://www.nhk.or.jp/archives/chronicle/

NHKの旧美の壺詳細サイト https://www.nhk.or.jp/tsubo/program/