こんにちは~。 らら子です。
今回は、人形遣いの豊松清十郎(とよまつ せいじゅうろう)さんをご紹介します。すーっと上品で端正な舞台姿が魅力的です。新聞のインタビューなどでもおなじみなので、ご存知の方も多いのではないでしょうか?
https://twitter.com/xxx3419/status/895610306222632962
豊松清十郎さんはご自身のブログがとても充実しているので、らら子の出る幕ではないのですが、さっそくプロフィールを見ていきます。
目次
豊松清十郎さんのプロフィール、年齢や出身、芸歴は?
こちらがプロフィールです。
誕生日:昭和33(1958)年9月26日
出身地:東京都
本 名:中村潤[芸 歴]
- 昭和46(1971)年 4月 四代豊松清十郎(とよまつ せいじゅうろう)に入門
- 豊松清之助(とよまつ せいのすけ)と名のる(12才)
- 昭和49(1974)年 4月 朝日座で初舞台
- 昭和59(1984)年11月 二代桐竹勘十郎(きりたけ かんじゅうろう)門下となる
- 昭和61(1986)年11月 三代吉田簑助(よしだ みのすけ)門下となる
- 吉田姓となり吉田清之助(よしだ せいのすけ)を名のる
- 平成20(2008)年 9月 東京・国立劇場において、五世豊松清十郎を襲名
- 「本朝廿四孝(ほんちょうにじゅうしこう)」の八重垣姫(やえがきひめ)で披露
[受賞歴]
- 昭和52(1977)年 1月 昭和51年度因協会奨励賞
- 昭和60(1985)年 1月 昭和59年度文楽協会賞
- 平成元(1989)年 1月 昭和63年度文楽協会賞
- 平成 2(1990)年 1月 平成元年度文楽協会賞
- 平成 6(1994)年 1月 第22回(平成5年)文楽協会賞
- 平成 7(1995)年 1月 第23回(平成6年)文楽協会賞
- 平成 7(1995)年 7月 平成6年度因協会奨励賞
- 平成 8(1996)年 7月 平成7年度因協会奨励賞
- 平成10(1998)年 7月 平成9年度因協会賞
- 平成13(2001)年 1月 第20回(平成12年)国立劇場文楽賞文楽奨励賞
- 平成14(2002)年 7月 平成13年度因協会賞
- 平成16(2004)年 1月 第23回(平成15年)国立劇場文楽賞文楽奨励賞
- 平成19(2007)年 1月 平成17年度因協会賞
- 平成21(2009)年 4月 第28回(平成20年)国立劇場文楽賞文楽優秀賞
清十郎さんは東京生まれ。昭和46(1971)年に中学1年生の12歳で四世豊松清十郎に入門。
豊松清之助(とよまつ せいのすけ)と名のって文楽研究生となり、見習い期間を経て昭和49(1974)年に技芸員となります。
技芸員になるには、文楽研修生になるか清十郎さんのように直接お師匠様に入門するかどちらかです。興味がある方はこちらもご覧くださいね。
技芸員とは?読みや意味をわかりやすく解説:技芸員になるには?
昭和59(1984)年に師匠の四世豊松清十郎先に師匠が亡くなり、その後、二世桐竹勘十郎(きりたけ かんじゅうろう)、吉田簑助(よしだ みのすけ)さんの門下に移りました。
それぞれタイプの違う三人の師匠、多くの先輩から教えを受け、実力派として、若いころから多くの受賞を重ねています。
豊松清十郎さんの入門のきっかけは?家族は?
東京生まれの清十郎さん。文楽のおうちの方ではありませんが、歌舞伎や文楽が好きなお母さまに連れられて、文楽をよく見にいったそうです。
自分で文楽の本を買って首(かしら)の研究をするなど、文楽好きの少年として育ちます。
小学生の時から楽屋に出入りをして、師匠の四代清十郎さんにも子ども用の黒衣も縫ってもらうなど、可愛がられます。
中学生になると12歳で入門。東京公演のある時は夜や休日に劇場に通い、中学生生活と両立させます。
「師匠は表情を変えないで人形を遣っていた。その姿が美しかったですね。クールに遣っている様に思われていましたが、ご本人はとても熱い方で『舞台で一番大事なのは熱。どんな役でも山(クライマックス)を作って遣え』と言われていました。足とか遣わして頂きながら舞台上で、もっと右とか前とか、父親以上の愛情で鍛えてくださったので、これまでやってこられた」と、振り返る。
歌舞伎・文楽インタビュー 豊松清十郎
現・清十郎さんの舞台での凛とした品のあるたたずまいも、四代目・豊松清十郎さんを受け継いでいらっしゃるのですね。
先代の教えは大変厳しかったそうですが、その教えに感謝しているという清十郎さん。弟子とは一緒に勉強していこうという気持ちで接していらっしゃるそうです。
ご家族は奥様とお子さん二人だそうです。
豊松さんという苗字の人形遣いは現在2人!!
そういえば、人形遣いの苗字は「吉田」さんか「桐竹」さんばかりです。もともと「豊松」姓の方は少なかったんですね。
豊松清之助さんとして初舞台を踏み、桐竹勘十郎さんの弟子になった時も、豊松姓を名のっていた清十郎さんですが、吉田簑助さんの元に移ると吉田清之助となります。
この時点で豊松さんという人形遣いはゼロになります。
吉田簑助門下になって12年経ち、師匠の簑助さん「そろそろ」と勧められて五代目・豊松清十郎さんを襲名。人形遣いの豊松姓が復活しました。
今、清十郎さん以外の豊松姓の人形遣いさんは、平成29(2017)年に初舞台を踏んだ超若手の弟子、現・豊松清之助さんです。豊松姓を増やすことも使命のひとつと考えていらっしゃるそうです。
豊松清十郎さんといえば、愛にあふれるブログ!
清十郎さんは、清十郎さんの姿勢が伝わってくるタイトルのブログを、2010年から続けていらしゃいます。
『豊松清十郎、焦らず、怠けず、諦めず。』http://seijuro5th.blog113.fc2.com/
若手の技芸員さんは、SNSで情報発信しますが、三日坊主の人も多いです。中堅以上の技芸員さんの公式ページやブログは、運営はファンの方だったりします。
清十郎さんのように、ご自身でまめにブログを更新し続けている技芸員さんは珍しいです。
清十郎さんのブログの内容は、公演情報やご自身の近況報告がメインですが、裏方さんや楽屋の裏話などが面白いです。
特に「新人さんいらっしゃ~い」という、どこかの人気テレビ番組のような名前のコーナーがすばらしいのです。その名の通り、入門したての新人さんたちを愛情たっぷりに紹介していきます。
スナップショットとインタビュー付き。略歴、本名、入門の際のエピソードなどを聞き書きしてあるのですが、ボケとセルフツッコミが絶妙です。
らら子も超若手のみなさんを知りたいときは、参考にさせていただいております。
いつもありがとうございます。
らら子的萌えポイント
品のいい、爽やかな舞台姿が魅力の清十郎さん。
静かなたたずまいのなかに、熱い情熱を持っていらっしゃることは、ブログからも伝わってきます。
女形だけでなく、武士や老人など、さまざまな役を拝見するのを楽しみにしております。
豊松姓の人形遣いを広げていく野望(?)も勝手に応援!
ますますのご活躍をお祈りしております!ブログの更新もよろしくお願いします!
参考にさせていただいたサイト
公益財団法人 文楽協会
豊松清十郎、焦らず、怠けず、諦めず。
高岡美樹べっぴんラジオ日記
「袖萩」凜とした強さ、出す 人形遣い・豊松清十郎
歌舞伎・文楽インタビュー 豊松清十郎